本日のランチ
七月半ばの昼下がり。店の外では白い日差しが路面を照らしているが、運ばれてきた主皿には、見た目にも涼しい余白があった。
白磁の皿に盛られているのは、短冊に切った鰻の蒲焼きと、薄く切られた胡瓜。濃い飴色と瑞々しい緑が交互に重なり、その間から茗荷の淡い赤紫がのぞいている。
昨日の帆立と湯葉は、白い湯気と澄ましあんに包まれた、穏やかな蒸し物であった。
本日はそこから一転し、冷たい皿の中に、脂、酸味、歯ざわり、辛みという、はっきりした輪郭が置かれている。
まずは鰻をひと切れ。
表面には蒲焼き特有の香ばしさが残り、身へ箸を入れると、やわらかな層が抵抗なくほどけていく。噛めば鰻の脂と甘いたれの余韻が広がるが、うな重のように、その濃さを白飯で受け止める料理ではない。
すぐ後から、山葵酢が追ってくる。
米酢の酸味は鋭すぎず、鰻の脂を舌の上から静かにさらっていく。そのあとに山葵の刺激が細く立ち、鼻へ抜ける頃には、蒲焼きの甘さが長く残っていない。
山葵を薬味として塊で添えるのではなく、酢の中へ溶かしているため、刺激は一か所に集中しない。一口ごとに、ごく短く現れては消えていく。
次に胡瓜を合わせる。
塩もみされた胡瓜は、しんなりと調味液を含みながらも、中心には小気味よい歯ざわりを残していた。やわらかな鰻の身を噛んだ直後に、胡瓜が軽く音を返す。
この食感の差が実に心地よい。
鰻だけでは濃く、胡瓜だけでは淡い。二つを同時に口へ運ぶことで、鰻の旨みを胡瓜の水分と青い香りが引き伸ばし、山葵酢が全体をひとつにまとめている。
茗荷も控えめながら、よく働いていた。
噛むとほのかな辛みと香りが立ち、鰻の脂とも、山葵の刺激とも異なる方向から、後味を軽くしてくれる。白胡麻の香ばしさは主張しすぎず、胡瓜と酢の冷たさに小さな丸みを添えている。
白ご飯をひと口含み、続いて鰻と胡瓜を運ぶ。
蒲焼きの甘みが米に合うのはもちろんだが、そこへ山葵酢が加わることで、白飯を重く感じさせない。食欲が落ちやすい盛夏にも、箸を休ませず食べ進められる組み合わせである。
小鉢の青菜のおひたしは、鰻とは異なる青い苦みを持ち、豆腐と三つ葉の澄まし汁は、冷たい主皿の合間に温度を戻してくれる。
御膳全体を冷たい料理だけで固めず、温かな汁物を添えたことも、この一膳を単調にしない理由だろう。
鰻といえば、たれをまとった身をご飯の上に大きく載せる姿を思い浮かべる。
しかし、本日の一皿は、その濃い旨みをあえて小さく切り分け、胡瓜、酢、山葵によって軽やかに組み直していた。
鰻の脂を消してしまうのではない。
脂があるからこそ酢が生き、蒲焼きの甘みがあるからこそ山葵の刺激が細く映える。相反する味をぶつけるのではなく、互いの重さと軽さを整えている。
濃茶の鰻。
鮮やかな胡瓜。
冷たい山葵酢。
盛夏の鰻を、力強さだけではなく、涼しい歯ざわりと短い余韻で味わわせる一皿であった。
【次回予告】
次回は「メカジキと夏トマトのだし煮御膳」。
冷たい山葵酢と胡瓜の歯ざわりから一転し、次は温かな煮汁の鉢物へ。肉厚のメカジキを香ばしく焼き付け、完熟トマトの酸味を薄口だしへ溶かした、赤く瑞々しい夏の煮物を訪ねる。
田嶋達郎
呪文
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