湿った夜風が頬を撫でる中、古い宿の縁側に彼女はいた。白い布地は月光を吸い込み、夜の帳に溶け込んでいるようだった。

「そこで何をしているの?」

私が声をかけると、彼女は青い瞳をゆっくりと向けた。その瞳は、深淵のように静かで冷ややかだった。

「月を食べているの」

彼女は月光をすくい上げ、銀色の粒子を口に運ぶような仕草をした。無邪気な笑みには、この世のものとは思えない温度が宿っている。その指先が触れた場所で、桜の花弁が凍りついて砕けた。

「美味しいの?」

私は我知らず問いかけていた。

「冷たくて甘い。でも、ここにはもう戻れないわ」

彼女の言葉に背筋が凍る。見上げると、満月が歪んで見える。周囲の景色が、まるで水面に映った影のように揺らぎ始めた。

「ねえ、あなたも一緒にどう?」

彼女が隣を叩く。私は足がすくみ、息を呑んだ。

「いらないわ」

私が拒絶した瞬間、足元の縁側が音もなく消え、地面の感触が硬いアスファルトに変わった。強い風が吹き抜け、視界が白く塗りつぶされる。気がつくと私は宿の入り口に立っていた。ただ、指先に微かな花の香りが残っていた。

呪文

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