「ふぅ……この熱さ、たまりませんね」

深い紅葉が彩る露天の縁に腰掛け、少女のユキは至福の表情で足を伸ばした。湯気の中に浮かぶのは、彼女が愛してやまない分厚い国語辞典だ。

「ユキさん、またそんな難しい本を……。せっかくの温泉ですよ、少しは周囲の景色も楽しんだらどうですか?」

隣で湯に浸かっていた仲間のサナが、呆れたようにため息をついた。ユキは分厚いページをめくる指を止めず、にこりと微笑む。

「サナ、分かってないですね。この温度で温まりながら眺める語彙の数々、これ以上の贅沢がありますか?」
「……いや、あるでしょ。普通にお茶でも飲むとか」

サナの突っ込みもどこ吹く風。ユキは辞書のページを指でなぞりながら、独り言のように続けた。

「例えば『至福』。これの定義を読んでから改めてこの空気を吸うと、味わいが深まると思いませんか?」
「うーん……言われてみれば、そうかも? じゃあ、『無我夢中』も調べてみてよ。今のお湯に浸かってる私のことみたいでしょ?」

二人は笑い合い、湯気の中で語彙の世界を旅し続ける。辞書を片手に秋の深まりを感じる午後は、二人にとって何にも代えがたい時間だった。

呪文

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