Q:ゴミは捨てればいいですよね?
A:捨てたゴミがどこ行くのか分かってんのか。


1950年代から高度経済成長期を迎えた日本は大量消費社会へと移行、大量生産・大量消費・大量廃棄が日常の光景となっていきます。
そのため廃棄物の増大や有害ゴミの発生など内容の多様化を招き、処理能力を上回ったゴミは未処理でそのまま埋め立てられるようになっていきました。


この事態が特に深刻な形で表れていたのが江東区です。
江東区は埋立地という立地故に江戸時代から大都市・江戸で発生するゴミを埋め立てる最終処分場としての役割を一貫して担っていた地域で、未処理のゴミや焼却灰などを積載したゴミ収集車やダンプカーが毎日5000台規模で押し寄せるようになったことで悪臭・ハエの発生・メタンガスからの出火などの問題が深刻化。
1971年9月27日、江東区議会は遂にしびれを切らして、

「自区内で処分場を持つ気のない区のゴミは今後一切受け入れない」

という決議をします。
翌9月28日に都知事・美濃部亮吉は都議会において一連の動きを『ゴミ戦争』と命名し、問題解決への決意表明をすると同時にゴミ問題への理解を広く問いかけることにしたのでした。


こうして都内各地に分散する形で処分場の建設が進められますが、選定された地域住民は当然猛反発。
特に反対運動が激しかったのが杉並区で、住民が工事を実力で妨害する事件が1972年12月に起きてしまいます。
この事件で遂に江東区がキレました。
杉並区の住民がゴミ問題の解決に積極的ではないと見た江東区は、12月22日に杉並区のゴミ搬入の阻止を決定。
収集されなかったゴミが集積所に積み上げられたままとなり、江東区の夢の島で起きていたような悪臭とハエの大量発生が地域の衛生を脅かすことになりました。
このような状況はマスメディアに取り上げられ、全国にこの紛争が知られることになります。


その後も長らく杉並区の反対運動と江東区の対抗措置のイタチ合戦は続き、10年を経た1982年に杉並清掃工場が稼働することでようやく騒動は終わりを迎えることができました。
工場の敷地内には『東京ゴミ戦争』の歴史を後世に語り継ぐ『東京ごみ戦争歴史みらい館』が開館しています。


現在の東京の最終処分場は中央防波堤埋立地にある新海面処分場であり、これが東京23区に残された最後の最終処分場です。
廃プラスチックのリサイクル推進や焼却灰の建材転用・粉砕処理の普及などにより埋め立て処分されるゴミの量はゴミ問題当時と比べて大幅に減少しており、処分場自体はあと50年以上は安泰であると言われています。
なお世界的には未だに廃棄物処理に対する意識が新興国を筆頭に殆ど育っておらず、産業廃棄物の未処理投棄による環境汚染が絶えません。
かつて『ゴミ戦争』を経験した『被災国』として、日本がその教訓を世界に伝える必要があるのかもしれません。

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