1567年9月17日(永禄10年8月15日)、織田信長は本城を稲葉山城へと移転します。
それから間もなく稲葉山城は中国の故事『岐山』から名を取って新たに『岐阜城』と命名されました。


岐阜城は様々な歴史のターニングポイントとなった城です。
稲葉山城時代は斎藤道三による国盗りの舞台となり、竹中半兵衛が画策した稲葉山城乗っ取りの舞台ともなりました。
そしてその攻略戦の中で、木下藤吉郎という足軽上がりの侍の名前が歴史に現れることになります。
戦国大名としての斎藤氏を滅亡に追いやった信長は尾張・美濃の二国を抱える国持ち大名となり、今川氏が凋落したこの時期においては戦国大名の中でも屈指の大勢力となりました。


そして信長の岐阜城移転と殆ど時を同じくして、信長は『天下布武』の朱印を使い始めます。
信長はこの『天下布武』の響きをとても気に入ったようで、命令書や外交文書のみならず些細な日常の手紙にまで天下布武の朱印を押しまくっていたようです。
子供か!


その後の岐阜城は信長の畿内進出に合わせて嫡男の信忠に譲られ、本能寺の変で信長・信忠が斃れてからは三男の信孝、乳母兄弟だった池田恒興、その次男の池田輝政など主が転々としたのちに信長の孫・秀信に受け継がれます。
関ヶ原の戦いで秀信は西軍に着き、福島正則らに岐阜城を攻められた末に降伏。
稲葉山城時代から数えて計5回もの落城を経験した珍しい経歴を持つ城となりました。
翌年に徳川家康によって岐阜城の破却が決定され、幾度となく歴史の転換点を担ってきた岐阜城は泰平の世を見ることなく役目を終えることになります。


現在の岐阜城は1956年(昭和31年)に落成した復興天守で、彦根城を参考に設計されたため当時のものとは外観が異なります。
現役時の姿は当時としては珍しい4層4階(または4層5階)の高層建築物だったとされ、破却後に資材を流用して加納城に移築されたと伝わりますが、その加納城も江戸時代に落雷によって焼失しており現代には残されていません。

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