1560年6月12日(永禄3年5月19日)。
織田信長とその関係者を語る場合、大抵はこの日の出来事を真っ先に触れることになります。


とは言うものの、実は桶狭間の戦いはその知名度の高さの割に謎だらけという不思議な合戦でもあります。
そもそも「桶狭間ってどこ?」という疑問点から始まるのが既にスゴイ😅
そして合戦場全体を差して『桶狭間』と読んでいたのか、今川義元が討たれた場所が『桶狭間』だったのか、その点についてもハッキリしていません。
また戦闘自体がどのように行われていたかも意見が錯綜しており、古くから提唱されて現在でも創作界隈では採用されることが多い『大雨に乗じた奇襲説』(『豊臣兄弟!』もこちらを採用)、真正面から挑んだ『正面攻撃説』、一度本国へ引き返す今川軍を背後から襲う形になった『背後追撃説』など様々な説が唱えられています。
また信長の目的としては本当に今川義元の首を狙った一発逆転ではなく、偵察で見つけた部隊を突っついて帰るピンポンダッシュ的な意図だったところが偶然に敵本隊へのラッキーヒットになった、というのが現在の主流な意見です。
信長は「あんな戦は二度とやりたくないわー」と度々口にしていたぐらい、イレギュラーだらけの合戦だったようです。


しかし大名・今川義元が討死したとはいえ今川氏は嫡子の氏真が継いで未だ健在。
今川氏の家臣が逃亡した岡崎城には松平元康(後の徳川家康)が入り、織田家との緊張状態が続いています。
信長と元康が手を結ぶ『清州同盟』が成立するには、元康と氏真との関係が悪化する1562年以降まで待たねばなりません。


なお桶狭間の合戦は信長が織田家の内紛を収めて間もない時期だったため家臣団の統率が不十分で、従軍したのは親衛隊に相当する面子に限られました。
その選ばれた精鋭軍団の中に、金森長近の姿がありました。
(ちなみに前田利家は粗相を払いて謹慎中だったのに勝手に来ました💦)
この日に同じく肩を並べて戦った河尻秀隆や池田恒興・佐々成政といった面子が本能寺の変から始まる一連の動乱に巻き込まれて次々と命を落としていく中、長近はそれでも戦場に立ち続けます。


そして桶狭間の戦いから40年後。
あの日は別の場所・別の陣営で行軍していた家康と長近は、決戦の地・関ヶ原において同じ陣営で肩を並べていました。
合戦を終えたのちに岐阜城で面会した二人は、在りし日の信長との思い出話で盛り上がったと言われます。
2人にとっても大きな契機となった桶狭間の戦いは、きっとその時の良い話のタネになったことでしょう。

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