※光秀は⑭ちゃんで代用しています

1582年6月16日。(天正10年1582年5月27日)
中国攻めをしている羽柴秀吉への援軍として出陣することになった明智光秀は、京都の愛宕神社にて戦勝祈願を行いました。
この時の戦勝祈願はなかなか念の入ったものだったようで、おみくじを二度三度と引き直していることが『信長公記』に記載されています。
翌日に開催された連歌会『愛宕百韻』において、光秀は以下の上の句を詠んで周囲を騒然とさせたと伝わります。

「ときは今 天が下しる 五月かな」

『とき = 土岐源氏』、つまり土岐源氏である光秀が天下を取るという宣言なのではないか、そんな解釈がなされたのです。
意図に気付いた他の参加者が咄嗟に
「水上まさる 庭の夏山」
「花落つる 流れの末を せきとめて」
と続けてその場を収めたとも言われています。
この解釈に関しては後年に光秀の謀叛ありきで付け加えられた補足であり、光秀の句も単に五月雨を詠んだだけの内容ではないか、という異論もあります。
どちらにせよ光秀が愛宕神社参拝に大きな意味を持って臨んでいたことは事実であり、いったい何を祈願したのかは永遠の謎なのでしょう。


光秀謀叛の原因には当時から今に至るまで様々な説が提唱されており、研究者の間では、
「どの説にも十分な根拠がない」
「光秀の動機が何であろうと後世には何の影響も与えない」
と完全に結論を放り投げたような扱いになっています。
何しろ最も近い時期に書かれている『信長公記』ですら「うーん、過去に何か怨恨でもあったんじゃね?」みたいな大雑把な意見を残しているぐらいなので、後世の人間にその真相なんて分かるワケがないのです。
多くの創作で用いられるのは『川角太閤記』で語られている、

「魚が臭いという難癖を付けられて徳川家康への接待役を解任されて恥をかかされた」

というモノですが、そもそも接待場所が間違っている上に解任の事実も確認できないという指摘があることから後世の創作説で概ね確定しています。
もっともそこから超拡大解釈して
「本来は家康を毒殺する手筈だったのに気を利かせて毒を取り除いた光秀に対して信長が怒った」
「そもそも家康暗殺を命じられたのに拒否したから腹いせに公衆の目の前で赤恥をかかせられた」
「むしろ家康に依頼されて信長を暗殺する筈がバレそうになったのでとっさに自分のせいにした」
だの飛躍した説も論じられていたり……。
割とマジで「そっちの方が面白いから」「いや俺の考えた説の方が面白いし」ぐらいの考えで突拍子な説を次々と後付けされ続ける光秀も中々に難儀な境遇です😅


運命の日まであと5日。
心の内にその決意を秘めた当人以外は、誰もその事実を知りません。

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