6月9日は皇太子殿下と雅子さまのご成婚の日
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前日の早朝から深夜まで勤務でバタンキューして投稿滞っております……。
1993年の今日6月9日、皇太子徳仁親王(現今上天皇)と小和田雅子さまの結婚の儀がなされました。
バブル崩壊の陰鬱なムードを吹き飛ばす勢いで日本中が祝賀ムードに包まれました。
(なおこれ以降の人物表記は当時基準で記載します。)
徳仁親王殿下はサザンオールスターズのファンで野球鑑賞を愛好する『現代っ子』な皇族としても知られています。
特に特撮に関してはケイブンシャの怪獣図鑑を少年時代の愛読書とし、学習院初等科時代に撮影現場に立ち会ったことからウルトラセブンに対しては思い入れが非常に深いというエピソードが講演会で本人の口から語られています。
このような姿勢は憲法に記載されている『日本国の象徴』を体現している御方だなーと勝手に考えております😄
お妃選びに関しては立太子以前から水面下で進められており、旧皇族・旧華族や学習院関係者を中心に検討されていましたが徳仁親王は民間の相手・そして価値観の一致と「自分の意見をしっかり言える女性」を望んだことが明かされています。
当時外務省条約局長だった小和田恆の長女・雅子さまはその要望にぴったり合致する女性でした。
1987年12月頃からは雅子さまがお妃候補である点が次第にマスコミに認知されるようになり、報道合戦が始まります。
当時は特にマスコミの報道モラル低下が著しかった時期で、実際に週刊誌やスポーツ紙でスクープ写真の掲載があると売り上げが一気に増えたことから報道はますます過熱。
まだ対面すら済ませていない時期であったため小和田家周辺は大混乱。
遂には「私はこれからも外務省で働きます」という事実上の否定発言にまで追い込まれます。
その後も雅子さま以外のお妃候補(と勝手に目されていた女性)への報道が問題となる中、徳仁親王と雅子さまの面会は1992年10月に極秘に行われました。
ダミーの場所や囮の人員まで用意してマスコミを完全にシャットアウトする徹底ぶりで、実際に面会したことで徳仁親王の真摯な姿勢に触れた雅子さまのお気持ちに変化が生じます。
ある程度の熟考の末、1992年12月についに彼女は結婚を受諾。
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」
その言葉が最大の決め手になったそうです。
1993年1月6日のワシントン・ポストでの掲載を期に婚約事実は事実上の公式化。
この日テレビ各局は緊急特番を組んで一斉にこのニュースを報じました。
また、この日を境に雅子さまのファッションスタイルも変化。
それまでのキャリウーマン的なビジネススタイルから上品なコートに身を包んだ気品のある華やかなスタイルへと転身し報道陣を驚かせています。
6月9日に行われた結婚の儀は当初雨模様だったのがパレードと同時に晴れ間を見せて、両者の行く末を祝福するようだったそうです。
なお2019年10月22日に行われた令和の即位式の際にも雨模様から晴れ間を見せて虹が浮かび上がる事例が発生しており、不思議な縁を感じます。
この時の盛況ぶりを今に伝えるのが飯田線の小和田(こわだ)駅です。
同字異音という点だけで静岡・長野・愛知の三県境に近い山奥の秘境駅に全国からカップルが訪れ、うち1組は実際にその場で式を挙げました。
その時に使われた『愛』と書かれているベンチは今も小和田駅に残されており、1日に1人訪れるか否かの国内屈指の秘境駅の片隅でひっそりと佇んでいます。
1993年の今日6月9日、皇太子徳仁親王(現今上天皇)と小和田雅子さまの結婚の儀がなされました。
バブル崩壊の陰鬱なムードを吹き飛ばす勢いで日本中が祝賀ムードに包まれました。
(なおこれ以降の人物表記は当時基準で記載します。)
徳仁親王殿下はサザンオールスターズのファンで野球鑑賞を愛好する『現代っ子』な皇族としても知られています。
特に特撮に関してはケイブンシャの怪獣図鑑を少年時代の愛読書とし、学習院初等科時代に撮影現場に立ち会ったことからウルトラセブンに対しては思い入れが非常に深いというエピソードが講演会で本人の口から語られています。
このような姿勢は憲法に記載されている『日本国の象徴』を体現している御方だなーと勝手に考えております😄
お妃選びに関しては立太子以前から水面下で進められており、旧皇族・旧華族や学習院関係者を中心に検討されていましたが徳仁親王は民間の相手・そして価値観の一致と「自分の意見をしっかり言える女性」を望んだことが明かされています。
当時外務省条約局長だった小和田恆の長女・雅子さまはその要望にぴったり合致する女性でした。
1987年12月頃からは雅子さまがお妃候補である点が次第にマスコミに認知されるようになり、報道合戦が始まります。
当時は特にマスコミの報道モラル低下が著しかった時期で、実際に週刊誌やスポーツ紙でスクープ写真の掲載があると売り上げが一気に増えたことから報道はますます過熱。
まだ対面すら済ませていない時期であったため小和田家周辺は大混乱。
遂には「私はこれからも外務省で働きます」という事実上の否定発言にまで追い込まれます。
その後も雅子さま以外のお妃候補(と勝手に目されていた女性)への報道が問題となる中、徳仁親王と雅子さまの面会は1992年10月に極秘に行われました。
ダミーの場所や囮の人員まで用意してマスコミを完全にシャットアウトする徹底ぶりで、実際に面会したことで徳仁親王の真摯な姿勢に触れた雅子さまのお気持ちに変化が生じます。
ある程度の熟考の末、1992年12月についに彼女は結婚を受諾。
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」
その言葉が最大の決め手になったそうです。
1993年1月6日のワシントン・ポストでの掲載を期に婚約事実は事実上の公式化。
この日テレビ各局は緊急特番を組んで一斉にこのニュースを報じました。
また、この日を境に雅子さまのファッションスタイルも変化。
それまでのキャリウーマン的なビジネススタイルから上品なコートに身を包んだ気品のある華やかなスタイルへと転身し報道陣を驚かせています。
6月9日に行われた結婚の儀は当初雨模様だったのがパレードと同時に晴れ間を見せて、両者の行く末を祝福するようだったそうです。
なお2019年10月22日に行われた令和の即位式の際にも雨模様から晴れ間を見せて虹が浮かび上がる事例が発生しており、不思議な縁を感じます。
この時の盛況ぶりを今に伝えるのが飯田線の小和田(こわだ)駅です。
同字異音という点だけで静岡・長野・愛知の三県境に近い山奥の秘境駅に全国からカップルが訪れ、うち1組は実際にその場で式を挙げました。
その時に使われた『愛』と書かれているベンチは今も小和田駅に残されており、1日に1人訪れるか否かの国内屈指の秘境駅の片隅でひっそりと佇んでいます。
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