ヘンリ五世② シュールズベリーの戦い

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1403年7月21日、シュールズベリーの戦い。
顔に矢を受けながらも戦場を離れず、兵士たちを鼓舞する16歳の王太子ヘンリ――後のイングランド王ヘンリ五世――を描いた歴史的再現画である。
この戦いでヘンリは、顔の左側、鼻の脇から眼の下にかけての部分に矢を受けたと考えられている。矢柄は取り除かれたものの、金属製の鏃は顔面の骨の深部に残った。眼球、脳、主要な血管や気道をわずかに外れたため、意識と運動能力を保つことができたらしい。しかし、失明、大量出血、脳損傷、感染死のいずれも起こり得る、きわめて危険な重傷だった。
「戦場にとどまった」とはいっても、負傷後にどれほど長く自ら武器を振るったかは分からない。現実には、強い緊張と興奮のなかで出血を抑え、従者に支えられながら指揮位置を維持し、自軍の動揺を防いだと考えるのが自然である。王太子が退却すれば部隊の士気が崩れかねない状況で、その姿を兵士たちに示し続けたこと自体が、大きな意味を持った。
戦後、ヘンリの治療を担当した外科医ジョン・ブラッドモアは、傷口を数日かけて慎重に広げ、鏃の内部に固定できる専用器具を作って摘出した。さらに蜂蜜やワインなどを用いて傷を処置し、感染を防いだ。急所を外れた幸運に加え、ブラッドモアの卓越した外科技術がなければ、ヘンリは数日から数週間後に命を落としていた可能性が高い。

この負傷後も、ヘンリはオワイン・グリンドゥールの反乱が続くウェールズで軍務に従事した。城塞の維持、包囲戦、兵員の募集、補給や給与の確保、地方有力者との交渉など、戦争を持続させるための実務を若くして経験している。1408年のアベリストウィス城、1409年のハーレフ城の陥落によって、反乱勢力は主要な拠点を失った。

こうしたウェールズでの経験は、後年のフランス遠征に活かされた。ヘンリ五世は、遠征前の周到な準備、厳格な軍規、兵站管理、長弓兵を含む部隊の統率、そして城塞都市の包囲と占領地統治を重視した。1415年のアジャンクールで示された指揮能力は、突然生まれたものではない。十代から二十代初めにかけてのウェールズ戦役が、若い王太子を実務に秀でた軍事指導者へと鍛えたのである。

空を矢が飛び交い、兵士たちが傷ついた王太子を仰ぐこの絵は、単なる英雄的な負傷場面ではない。そこには、死の危険を目前にしながら指揮官として踏みとどまった少年と、ウェールズの長期戦を経て、やがてフランスで名を轟かせる国王へ成長していくヘンリの出発点が描かれている。

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