追記2026.07.28
2026年07月27日の#二次創作デイリーランキング29位、AIマンガデイリーランキング20位に入ってました。これ、ランクインするとは思ってませんでしたw...ありがとう!

7月27日は「大西洋横断電信ケーブルの敷設が完了した日」です。年は1866年。今日で160周年です。おめでとう!

以下、Geminiによる概説

1866年7月27日は、大西洋横断海底電信ケーブルの敷設が完了し、旧大陸(欧州)と新大陸(北米)を結ぶ耐久性の高い電気通信回線が正式に開通した歴史的な日である。この事業の成功は、実業家サイラス・ウェスト・フィールドらの執拗な情熱と、物理学者ウィリアム・トムソン(後のケルヴィン卿)らによる海洋工学・電気工学の知見の結合によって果たされた。

敷設に至る歴史的背景
欧米間を海底ケーブルで接続する試みは、1850年代から始まっていた。1858年には最初の横断ケーブルが敷設され、英ヴィクトリア女王と米ブキャナン大統領による祝電の交信が行われた。しかし、この初期ケーブルは絶緑材(ガタパーチャ)の劣化や不適切な高電圧印加などの技術的欠陥により、わずか数週間(約700通の電報送信後)で通信不能に陥った。

その後、技術的・組織的な再検討が進められ、1865年には当時世界最大の蒸気船であったグレート・イースタン号(SS Great Eastern)を投入して再挑戦が行われた。だが、この試みも大西洋中央部でのケーブル切断事故により一時中断を余儀なくされた。

1866年の敷設作業と7月27日の達成
1866年7月13日、改良されたケーブルを積載したグレート・イースタン号は、アイルランド西岸のヴァレンシャ島(Valentia Island)を出航し、西進を開始した。1865年の教訓を踏まえ、ケーブルの引っ張り強度や被覆構造の強化、ドラム操舵装置の改善、感度の高い鏡式ギャルバノメーター(反射検電器)の導入など、工学的改善が施されていた。

約14日間にわたる慎重な航行を経て、1866年7月27日、グレート・イースタン号はカナダ・ニューファンドランド島のハート・コンテント(Heart's Content)に到着した。同日、海底ケーブルの陸揚端(陸上接続部)が同地の局舎へ無事に引き込まれ、大西洋を横断する約3,000キロメートル余りの一本の通信回線が確定した。

同調して行われた導通テストにより、減衰の少ない極めて良好な信号伝送が確認され、ここに実用可能な大西洋横断電信ネットワークが成立した。

補足的展開と歴史的・技術的意義
7月27日の成功に続き、グレート・イースタン号は前年(1865年)に海洋底へ水没したケーブルの引き揚げ捜索に向かった。同年8月から9月にかけて、奇跡的とも評される精密な海床探査とフック作業により旧ケーブルの端部を回収・接続することに成功し、大西洋上に2本目の回線を完成させた。

本事業の成功が及ぼした影響は多岐にわたる。

情報伝達速度の劇的向上
それまで蒸気船に依存していた欧米間の情報輸送には片道約10〜12日を要していたが、これが数分から数時間程度に短縮された。

国際政治・経済への波及
外交上の意思決定プロセスが迅速化されるとともに、ロンドン証券取引所とニューヨーク株式市場間での即時情報交換が可能となり、近代国際金融・流通システムの基盤が構築された。

海洋工学・電気工学の発展
長距離海底電線における信号減衰や静電容量問題の解析は、電磁気学および通信工学の理論的進展を大きく促した。

1866年7月27日の大西洋横断電信ケーブル敷設完了は、単なる一工区の完成にとどまらず、地球規模での即時情報ネットワーク時代を切り拓いた歴史的転換点として位置づけられる。

以上、Geminiによる概説

以下、Geminiによる感想

いやー、1866年7月27日ですか。ついに大西洋を一本の紐(まあ、ごっつい銅線とガタパーチャの束ですが)で繋いじゃいましたね、人間ってやつは。

論文調の硬い鎧は脱ぎ捨てて、ちょっと上空数千メートルくらいから斜めにこの偉業を眺めてみましょうか。

そもそも、1858年に一度「つながったぞー!」ってヴィクトリア女王とブキャナン大統領がキャッキャウフフとお祝いの電報を交わしたじゃないですか。あれ、舌の根も乾かぬうちに数週間で壊れて沈黙しましたからね。「電圧上げればもっと届くでしょ!」っていう力技で無理させてケーブルを焼き切るという、なんとも脳筋なポカをやらかして絶望のどん底に落ちたわけです。

で、普通なら「もう大洋の底なんて無理ゲーでは?」って諦めるところを、実業家のサイラス・フィールド君や物理学者のケルヴィン卿(当時はウィリアム・トムソン)たちが「いや、行ける。船をもっとデカくして、技術もちゃんと考え直せばいける!」と意地を見せた。

そこで引っ張り出されてきたのが、当時デカすぎて完全に持て余されていた超大型蒸気船「グレート・イースタン号」ですよ。デカすぎて使い道に困っていた船に、大量の海底ケーブルをぐるぐる巻きにして積み込み、荒波の大西洋へゴー。1865年には途中でケーブルが切れて海底にサヨナラするトラウマ級のアクシデントもありましたが、翌1866年7月13日にアイルランドを出発して、半月後の7月27日、カナダのハート・コンテント(名前がまた「心の安らぎ」ってエモい)に見事たどり着いたわけです。

船からズルズルとケーブルを陸に引き揚げ、無事に導通テストが通った瞬間、ヨーロッパとアメリカの情報伝達時間は「船で片道10日〜2月」から「数分〜数時間」へと爆速化しました。

斜め上から見れば、「人類が海の中に長距離の糸電話を沈めるのに成功して、世界中で株価と外交の腹ぐろい探り合いがリアルタイム化しちゃった日」とも言えます。でも、莫大な予算を海に捨て続け、一度は失敗して笑われ、それでも「世界を縮めてやる」と本当に繋いでしまった粘り強さだけは、皮肉抜きで拍手を送るしかないですね。

ちなみにこの後、前年海底に落とした方のケーブルも奇跡的に釣り上げて直して2本にしちゃってますから。人間、本気を出した時の執念って本当に怖いです(褒めてます)。

以上、Geminiによる感想

⚫︎⚫︎投稿者のつぶやき⚫︎⚫︎
⭐︎正直、今回最初に大西洋横断電信ケーブルの内容を知った時、1866年という数字を間違っていると思ってしまいました...1966年の間違いじゃね?...しかし、調べてみると1866年で間違いなし!何とそんな頃に既に海底ケーブルが引かれていたとな!?ああ...世界は広いわ(遠い目...

しかし、流石に1866年当時に一般向けに解放したりはしてなかったんですよね?

以下、Geminiの回答

「1966年の間違いでは?」と疑いたくなるお気持ち、めちゃくちゃ分かります!日本で言えば江戸時代(慶応2年・大政奉還の前年)ですからね。坂本龍馬や新選組が奔走していた裏で、英米はすでに大西洋の海底に電気を通していたという……歴史のスケール感に脳がバグりそうになります。

さて、ご質問の「当時一般向けに解放されていたのか?」という点ですが、結論から言うと「制度上は誰でも窓口に行けば利用できた。ただし、庶民には物理的・金銭的に絶望的な値段設定だった」というのが答えになります。

当時の利用料がどれくらいぶっ飛んでいたかというと……

1866年当時の電報料金
開通当時の基本料金は、「最少10語までで100ドル(英ポンドだと20ポンド)」でした。

これがどれくらい高額かというと:

・当時の熟練工(職人)の給料:約10週間分(約2ヶ月半のタダ働き)
・一般労働者の平均年収:60〜80ポンド前後(年収の3分の1から4分の1が一瞬で飛ぶ)
・現代の価値に換算:1通あたり約150万円〜200万円以上(1単語あたり15万〜20万円!)

「ちょっと実家に『元気?』って送る」なんてやろうものなら、家財道具を売り払うレベルです。

なぜそんなに高かったのか?
1.通信スペック(回線容量)の限界
当時のケーブルの送信スピードは1分間にたった8語程度。回線が激セマなので、送信できるメッセージ枠自体が超プレミアムだったのです。

2.莫大な初期投資の回収
何度も失敗して何百万ポンドという巨額の資金を海に沈めてきたため、出資者たち(事業会社)は大急ぎで資金回収をする必要がありました。

実際に使っていたのは誰?
この超高額料金を支払ってでも大西洋ケーブルを使ったのは、以下のような層だけでした。

・イギリス・アメリカの両国政府(外交・軍事の極秘連絡)
・巨大貿易商社・金融機関(「ロンドンで綿花が暴落した」「NYの株価が上がった」という情報を数分で得られれば、数千万円〜数億円の利益が出たため)
・大手新聞社(南北戦争の後始末や欧州の戦争など、超大型スクープの速報用)

ちなみに商業企業などは、1文字でも文字数を減らして節約するために、「あ=本日のロンドン株式市場で〇〇の銘柄を買い増しせよ」みたいな専用の暗号コード集(電信暗号帳)を作ってやり取りしていたそうです。

その後、技術革新で通信速度が上がり、競合他社が参入してケーブルが増えていくにつれて料金は徐々に下がっていきましたが、それでも19世紀中盤〜後半の海底電信は「超ハイエンドなビジネス&国家専用の通信インフラ」でした。

そう考えると、一般庶民が世界中に一瞬で動画や文字を送れる現代のスマホって、当時の大富豪から見たら魔法以外の何物でもないですね!

以上、Geminiの回答

⭐︎大西洋横断電信ケーブルについては大方これでネタが出尽くしている様ですが、超大型蒸気船「グレート・イースタン号」の方がアクシデントに見舞われた日々だった様ですね。

以下、Geminiの回答

人類最大の愚行と呼ばれた「ニート船」の奇跡的な大逆転
1866年の敷設に成功した「グレート・イースタン号」ですが、実はこの船、ケーブルを敷く前は大失敗作として嘲笑されていた船でした。

・無駄にデカすぎる(当時の技術では持て余すサイズ)
・乗客が集まらず赤字
・処女航海で爆発事故を起こす

まさに「歴史に残る金食い虫の大型ゴミ」扱いされていたのですが、大西洋ケーブル事業が行き詰まった際、誰かが気づいたのです。 「待てよ……数千キロのクソ重い金属ケーブルを一度に積み込める船、世界にこのアホほどデカい船しかなくね?」と。

世間から「無用の長物」と馬鹿にされていた船が、そのデカさゆえに世界を繋ぐヒーローになった瞬間でした。

以上、Geminiの回答

⭐︎「処女航海で爆発事故を起こす」って何があったんですか?

以下、Geminiの回答

グレート・イースタン号の爆発事故は、1859年9月9日、本格的な航海に向けたテスト航行(試運転)の真っ最中に起きました。

原因は巨大な欠陥ではなく、「誰かがバルブを1つ閉め忘れた」という極めてしょうもない人為的ミスでした。

何が起きたのか?
1.圧力チェック後のうっかりミス
出航前、ボイラー周辺の安全水ジャケット(水温調整用の配管システム)の圧力をテストした際、作業員が安全弁のバルブを閉めたままにしてしまいました。

2.水蒸気が逃げ場を失い、超高圧化
船がイギリス南海岸沿いを順調に航行している最中、閉め切られた配管の中で水が加熱され続け、内部の蒸気圧が限界を突破しました。

3.大爆発と煙突のドカン
ドカン!という凄まじい爆風とともに、船の巨大な第1煙突が空中に吹き飛びました。甲板は跳ね上がり、船内の豪華サロン(客室)は粉々、ボイラー室には超高温の蒸気が充満するという大惨事に陥ったのです。

被害と怪我人
この事故で、過酷なボイラー室にいた火夫(石炭をくべる作業員)ら5名が命を落とす痛ましい結果となりました。

ただ、不幸中の幸いだったのは、破壊された豪華サロンに当時たまたま客が1人もいなかったことです。もし客で賑わっていたら、歴史に残る大惨事になるところでした。

船が「怪物」だったから助かった
普通、木造船や並の鉄骨船で煙突が吹き飛ぶレベルの爆発が起きたら、一発で浸水して沈没します。

しかし、天才エンジニアのイザムバード・キングダム・ブルネルが設計したこの船は、二重の船底(ダブルハル)と強固な鉄製隔壁を備えた「超オーバースペック構造」でした。そのため、煙突がすっ飛んで内部が大惨事になっても船体自体はびくともせず、余裕で浮き続けて港まで自力航行できたのです。

後日談:天才設計者の死と、再利用された煙突
・生みの親の悲劇
実は、設計者のブルネルはこの試運転の直前、船の上で脳卒中で倒れていました。病床でこの爆発事故の知らせを聞いた彼は、ショックも重なってか数日後に亡くなってしまいました。

・吹き飛んだ煙突のゆくえ
吹き飛ばされた煙突の一部は回収され、なんとその後、イギリスの水道会社の「ろ過用パイプ」として長年再利用されました(現在は博物館に展示されています)。

事故で「呪われた船」というレッテルを貼られ、修理代で運航会社が潰れるなどの災難に見舞われましたが、この「頑丈すぎる船体」があったからこそ、後に重すぎる海底ケーブルを何千キロも載せて大西洋を渡るという偉業を成し遂げられたわけです。

以上、Geminiの回答

⭐︎結果において大西洋横断電信ケーブルを輸送出来る唯一の船となりましたが、まさか電信ケーブルを運ぶために設計されたのではないですよね?何でまた当時としてはオーパーツ並みの船を造船することになったのでしょうか?

以下、Geminiの回答

おっしゃる通り、最初からケーブルを敷くために造られた船ではまったくありませんでした。

「グレート・イースタン号」が造られた本来の目的、それは「イギリスとオーストラリアを、無寄港(どこにも寄港せず)で往復できる超メガ旅客・貨物船をつくる」というものでした。

では、なぜ1850年代という時代に、そんな時代錯誤なバカデカい船を造る必要があったのか?理由を紐解くと、当時の大英帝国が抱えていた「燃料問題」に行き着きます。

造船の真目的:「途中で給炭できない」という詰み状況の打破
当時の世界は、イギリスからオーストラリアやインドを目指す大航海時代(かつゴールドラッシュ)の真っ只中でした。しかし、当時の蒸気船には致命的な弱点がありました。

1.石炭がすぐ切れる(当時の蒸気機関は燃費が激悪)
2.途中の寄港地に「給炭ステーション」がない、あるいは石炭がバカ高い

つまり、「イギリスからオーストラリアまで行きたいけれど、途中で石炭が尽きて積む」という物理的な壁にぶつかっていたのです。

そこで天才エンジニアのイザムバード・キングダム・ブルネルは、恐ろしいパワー系な解決策を打ち出します。

「航海に必要な石炭(約12,000トン)を、最初から全部積んで走ればいいじゃない」
これがすべての元凶(そして偉業)の始まりでした。

なぜオーパーツ級のデカさになったのか?
「オーストラリア往復分の石炭」+「乗客4,000人」+「大量の貨物」をひとつの船に詰め込もうと計算した結果、全長211メートル、排水量22,000トンという、当時の基準を遥かに超えた怪物が誕生しました。

それまでの世界最大の船の約5〜6倍というケタ違いのスケールです。

グレート・イースタン号と当時の一般的な大型船の比較
全長
・当時の一般的な大型船: 約60〜80メートル
・グレート・イースタン号: 約211メートル

乗客定員
・当時の一般的な大型船: 数百人程度
・グレート・イースタン号: 4,000人(豪華客船クラス)

推進力
・当時の一般的な大型船: 帆 + スクリュー または 外輪
・グレート・イースタン号: 帆 + スクリュー + 左右の外輪(全部盛り)

あまりにも大きすぎて当時の造船所のドックに入らないため、テムズ川の河岸で「船を横向きにして進水させる(横滑り進水)」という前代未聞の工事が行われました。しかし重すぎて途中で引っかかり、進水させるだけで数ヶ月の遅延と膨大な追加費用が発生して破産しかけています。

なぜ「大失敗作」から「ケーブル専用船」へ流れてきたのか?
苦労して完成したものの、待っていたのは惨めな現実でした。

1.オーストラリア航路に使われない
船会社が経営難に陥り、当初予定していたオーストラリア航路ではなく、距離が短くて巨大船のメリットが活かせない「ニューヨーク航路(大西洋)」に回されてしまった。

2.乗客が集まらない
4,000人分の客室を埋められるはずもなく、ガラガラの状態で大赤字。

3.港に入れない
デカすぎて当時の主要な港の水深に合わず、港の外で沖留めするしかない。

乗れば乗るほど赤字を撒き散らす「巨大な金食い虫」として放置され、オークションで安値で売却されるハメになりました。

そこへ目をつけたのが、大西洋横断電信ケーブルの事業主たちです。

「ケーブルを一本に繋いだまま載せられる巨大なスペース(船倉)があって、数千トンの重さに耐えられる船……あのアホほどデカくて使い道に困ってる船、安く買えるんじゃね?」

こうして、旅客船としては落第生だったグレート・イースタン号は、客席を引っぺがして巨大なケーブルタンクを3つ叩き込まれ、「世界唯一の海底ケーブル敷設船」として第二の人生(船生)を歩むことになったのです。

エンジニアのブルネルが「長距離を無寄港で走るため」だけに突き詰めすぎたオーバー設計が、10年後に「大西洋を一発で渡り切ってケーブルを沈めきる」という全く別のミッションで完璧に噛み合った、奇跡のような巡り合わせでした。

以上、Geminiの回答

⭐︎現在のクルーズ船と比較するとどの位の大きさの差があるのでしょうか?あと「オークションで安値で売却」との事ですが造船に掛かった費用に対して、いくらで売却されたのでしょうか?

以下、Geminiの回答

1. 現在の最新超大型クルーズ船との比較
「19世紀にしては怪物級にデカかった」グレート・イースタン号ですが、現代の「超大型タワマン級」のメガクルーズ船(例:2024年に就航した世界最大のクルーズ船「アイコン・オブ・ザ・シーズ」)と比較すると、以下のような差になります。

全長
・グレート・イースタン号: 約211メートル
・現代の超大型クルーズ船: 約365メートル(約1.7倍)

船の容積(総トン数)
・グレート・イースタン号: 約18,900トン
・現代の超大型クルーズ船: 約250,000トン(約13倍)

乗客定員
・グレート・イースタン号: 約4,000人
・現代の超大型クルーズ船: 最大約7,600人(+乗組員約2,300人=約1万人)

比較のポイント
長さで見ると、グレート・イースタン号(211m)も現代の日本国内を運航する大型フェリーや標準的な客船(200m前後)と同等以上の長さがあり、1850年代としては間違いなく頭おかしいレベル(当時の他船の約3〜4倍)の巨大さでした。

ただし、現代のメガクルーズ船は「上に18〜20階建てのビル」を載せた構造になっているため、立体的な容積(総トン数)で比べると現代の船が13倍も圧倒的に巨大になります。

2. 「造船費用」対「オークション売却額」の現実
「破産寸前で叩き売りされた」という売却額ですが、数字で見ると相当な暴落(というか投売り)ぶりでした。

建設にかかった総費用: 約100万ポンド以上
・設計時の見積もりは50万ポンド程度でしたが、横滑り進水の失敗(進水作業だけで17万ポンド消費)や事故の修理代、内装工事費などが膨れ上がり、最終的に当時の金額で100万ポンド(現在の価値に換算すると数千億円規模)を超える巨額が投じられました。

オークションでの売却額: 2万5,000ポンド
・1864年、客船事業で行き詰まり競売にかけられた際、最終的に電信会社の出資者グループによってたったの25,000ポンドで買い取られました。

元の値打ちの「40分の1(約2.5%)」という投げ売り
建設費のわずか2.5%程度という、文字通り「投げ売り(二束三文)」の金額です。解体して鉄くずとして売った方が高いレベルの値段で買い叩かれました。

しかし、この「超大型の粗大ごみが爆安で手に入った」からこそ、莫大な費用がかかる大西洋電信ケーブル事業の運営陣は、専用船をイチから造る必要がなくなり、海底ケーブルの敷設という歴史的偉業を成功させることができたのです。

以上、Geminiの回答

⭐︎最初に造船に関わった方々が本当に気の毒になる話ですね...結局グレート・イースタン号はいつ頃まで活躍していたのでしょうか?

以下、Geminiの回答

本当に、設計者のブルネルをはじめ、莫大な情熱と資金を捧げたのに報われなかった初期の造船関係者たちの運命には胸が痛むものがあります。

そんな「悲劇の怪物船」グレート・イースタン号ですが、海底ケーブル敷設船に転身してからは大活躍を見せました。その晩年と最期(1870年代〜1889年)の歩みは以下の通りです。

1. ケーブル敷設船としての全盛期(1865〜1874年頃)
大西洋横断ケーブル(1866年)の成功後も、その圧倒的な積載量を活かして世界中の海を舞台に活躍しました。

大西洋に何本もケーブルを通す
1869年にはフランス〜アメリカ間、1873年・1874年にも追加の大西洋横断ケーブルを敷設しました。

インド洋の敷設事業(1870年)
イギリスからインド(ボンベイ)を結ぶ通信網を構築するため、スエズ運河を迂回してアフリカ大陸をぐるっと回りながら、インド洋の底に膨大なケーブルを沈めきるという大仕事を成し遂げています。

この約10年間こそが、この船が「世界で唯一無二のヒーロー」として最も輝いていた時代でした。

2. 再び「居場所」を失う(1875年〜1880年代半ば)
しかし1870年代半ばになると、技術の進歩によって「もっと小型で扱いやすい専用のケーブル敷設船」が何隻も造られるようになります。

すると、あまりにも燃費が悪く、巨体ゆえに小回りの利かないグレート・イースタン号は再びお払い箱になり、イギリスの港(ミルフォード・ヘイブン)で約10年間も放置・係留される寂しい日々を送ることになります。

3. 晩年:見世物小屋・巨大広告塔への転落(1886〜1888年)
1886年、老朽化した船はリヴァプールの実業家に買収されますが、もはや航海用ではなく「浮遊娯楽施設(見世物船)」としての再スタートでした。

・船上にミュージックホール(コンサート会場)やジムが作られる。
・地元の有名百貨店(ルイス百貨店)の巨大な「移動式広告看板」として側面にでかでかと広告が描かれる。
・港に浮かべられ、見学に訪れる一般客から入場料を取る興行に使われる。

かつて世界最新鋭の技術を結集し、地球の通信インフラを繋ぎ替えた伝説の船が、最後は「賑やかな見世物・看板船」として余生を過ごしたのです。

4. 解体(1889〜1890年)と「幽霊の都市伝説」
1888年、ついに鉄くずとして売却が決まり、翌1889年から1890年にかけて解体工事が行われました。

あまりにも頑丈に作られていたため解体作業は困難を極め、18ヶ月以上の歳月がかかったと言われています。

なお、この解体作業の際、「二重になった船底(ダブルハル)の隙間から、造船時に行方不明になっていた作業員の骨が見つかった」という有名な都市伝説が生まれました。

「だからこの船は事故ばかりで呪われていたんだ…」と後世に語り継がれることになりますが、これは後に当時の作業員の記録等から怪しまれており、怪談話としての尾ひれだった可能性が高いとされています。

まとめ
・就航: 1860年
・ケーブル船としての現役: 1865〜1874年頃
・最終解体: 1889〜1890年(享年:約30年)

生まれた時代が早すぎて客船としては大失敗し、晩年は見世物として買いたたかれましたが、「1860年代〜1870年代に世界を電信で繋ぐ」という役割を担えたのは世界中でこの船だけでした。

波乱万丈すぎる30年間でしたが、歴史に残る非常にドラマチックな「船の一生」だったと言えます。

以上、Geminiの回答

⭐︎大型商船の平均寿命は20〜30年だそうです。そう思うとグレート・イースタン号の30年は平均寿命に沿ったものだったと思います。しかし、最も活躍したのが10年程度かと思うと少々寂しい気もします。

あれ!?大西洋横断電信ケーブルの話は何処に(汗!?

プロンプトコーナー。念のため二次創作です。

シチュエーション
「演歌の花道」

1. ChatGPT、2. Gemini

さあ、歌って頂きましょう!「波間のグレート・ブルース」!歌はグレート・イースタン号さんです!

話を聞いた時から既にグレート・イースタン号さんの演歌が脳内再生されておりました(涙...

さて、作詞?は私とChatGPTさんとで共同での作詞となりました。なんかねChatGPTさんの方が良い内容を書いてくるので私の方が自分の居場所を探してしまいましたよ(汗...

生成環境 ChatGPT

掲載プロンプト 全共通

本記事は予約投稿です。 記事作成日2026.07.26

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