冷えたジャンクフードと神の叫び

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深夜二時十七分。ISATCO本社最上階のCEO執務室は、街の夜景を背に静まり返っていた。広大な部屋の中央に置かれた革張りのソファに、ルシウス・ヴァン・ローゼンタールは力なく崩れ落ちるように身を沈めていた。今日もまた、イサトコ・ジャパンの後始末に追われ、三度目の来日監査をようやく終えたばかりだった。
高級スーツは皺だらけで、ネクタイは緩く首元に絡みつき、金色の髪は乱れに乱れて額に張り付いている。目の下には濃い隈が刻まれ、かつて神々しい輝きを放っていた碧眼は、今や虚ろな光を宿すだけになっていた。テーブルの上には、冷え切ったハンバーガーとポテトの残骸が無残に散らばっている。ささやかな楽しみとして数週間前から予約していた高級レストランのコースディナーは、今回の監査で完全に流れてしまった。次に空きが出るのはいつになるのか、見当もつかない。
ルシウスはゆっくりと手を伸ばし、冷たいポテトを一つまみ口に運んだ。歯触りの悪い食感が舌に広がる中、彼は天井をぼんやりと見つめ、独り言のように呟いた。
「……神だった頃の私は、こんなものを食べることはなかった……」
その声は疲弊しきっており、かつての威厳など微塵も感じさせない。部屋の空気は重く淀み、壁に掛けられた抽象画さえも、ルシウスの疲労を映すように影を落としていた。監査の記憶が頭の中で渦巻く。あの日本子会社の幹部たちによる予測不能な行動、博物館との軋轢、裏社会のあちこちで噴出する問題。すべてを一人で抱え込み、秩序を維持するために奔走する日々が、彼の神格の残滓さえも削り取っていた。
突然、執務室の重厚なドアがノックもなしに開かれた。入ってきたのは、黒い戦闘服に身を包んだ「博物館」所属の超人部隊五名だった。彼らは本部の正式な許可など得ず、独自の判断で動いていた。足音は カーペットをほとんど響かせず、影のように滑らかに部屋へ侵入してくる。隊長らしき男を先頭に、彼らの目は冷たくルシウスを捉えていた。
ルシウスは冷えたハンバーガーを握ったまま、ゆっくりと顔を上げた。碧眼にわずかな警戒の色が浮かぶ。
「……何の用だ」
声は低く、しかし抑揚を欠いていた。隊長は無表情のまま一歩前へ進み出、淡々と告げた。
「CEO。イサトコ・ジャパンの危険性はもはや看過できないと判断しました。本部に先んじて、あなたの排除を——」
その言葉が終わらぬうちに、ルシウスの堪忍袋の緒が完全に切れた。べしゃり、という湿った音が部屋に響き渡る。冷えたハンバーガーが床に落ち、ソースが飛び散った。ルシウスは震える手で髪を掻きむしり、突然、子供のように泣きじゃくりながら足を床に叩きつけた。
「じゃあ、どうするつもりだというのか!
私がいなくなったら、お前たちがすべてを解決してくれるのか!
イサトコ・ジャパンのあの腐れモンキーどもをどうにかしてくれるのか!
私ではなく、先にあいつらを何とかしろよ!
毎日毎日、毎日毎日!
山に埋めたり、博物館に喧嘩を売ったり、夜逃げしたり……!
私に何を期待しているんだよ!」
かつて神だった者の威厳は、どこにも残っていなかった。ただの疲れ果てた中年男性が、声を上げて泣きながら足をばたつかせ、感情を剥き出しにしているだけだった。涙が頰を伝い、乱れた金髪に絡みつく。息は荒く、肩は激しく上下する。
超人部隊の面々は、無言のままその光景を見つめていた。気まずい沈黙が部屋全体を覆い、隊長の眉がわずかに動いた。ルシウスはさらに声を振り絞り、言葉を続けていく。
「今日は久しぶりに休暇を取れるはずだった……
レストランも予約して、ようやくゆっくりできると楽しみにしていたのに……
こんな冷えたハンバーガーしか残っていない……!
神への復権など、いつになるのか……この会社のCEOなど、もうやめたい……」
彼の声は次第に嗄れ、ソファの背もたれに体を預けるように崩れ落ちた。肩が小刻みに震え、床に落ちたポテトが静かに転がる音だけが、部屋に響く。隊長は静かに踵を返した。
「……撤退する」
他の隊員たちも無言で後に続く。最後の隊員が、申し訳なさそうな視線を一瞬だけルシウスに向け、ドアをそっと閉めた。ドアが閉まる重い音が、執務室に残響を残す。
ルシウスはソファに突っ伏したまま、しばらく動かなかった。涙の跡が頰に残り、息を整えようとするが、胸の奥から込み上げる苛立ちと虚無感がそれを許さない。元神格の残滓が、微かに体の中で疼くが、今の彼にはそれを使う気力さえ残っていなかった。弁護士や部下に頼った方が効率的だと悟った今、力など使っても意味がない。
部屋の照明が淡く彼の姿を照らし出す中、ルシウスはゆっくりと体を起こした。乱れたスーツの袖で顔を拭い、テーブルの上の飲み物を手に取る。液体はすでにぬるく、味など感じない。ただ、喉を通る感触だけが現実を思い出させる。
「……トヨサカの奴にも、またからかわれるだろうな」
独り言が漏れる。彼女のお気に入りであるが故の守護、そして度重なるからかい。それすら今は、遠い出来事のように思えた。ISATCO本社の幹部たち——カリウス、ガルド、シルヴィアらとの長い苦楽を思い浮かべる。彼らとの結束は固いが、仕事の押し付け合いも激しい。信頼と利害が複雑に絡み合う関係が、ルシウスをさらに疲弊させていた。
イサトコ・ジャパンの面影が脳裏に蘇る。あの技術力の高さと制御不能な暴走。放出できず、管理を強いられる「厄介ごと製造機」。博物館との敵対関係でありながら、最も頼りにせざるを得ない相手。すべてがルシウスの肩にのしかかり、神への復権という当初の目的を遠ざけていく。
彼は再びソファに深く沈み、目を閉じた。夜景の光が窓から差し込み、金髪を淡く輝かせるが、その輝きはもはや神のものではなく、人間臭い疲労の象徴でしかなかった。冷えたポテトが床の上で静かに転がり続け、部屋の静寂を強調するように音を立てる。
ルシウスは胸の内で繰り返す。神に戻りたい。この秩序維持の責務から逃れたい。しかし、現実は彼をCEOの座に縛りつけ、毎日新たな問題を突きつけてくる。涙はすでに乾き始めていたが、心の奥底に残る葛藤は、決して消える気配を見せなかった。
執務室の時計が、静かに時を刻み続ける。二時を回った深夜の時間は、まだ長く続きそうだった。ルシウスはゆっくりと息を吐き、明日への準備を心の中で始めていた。イサトコ・ジャパンの尻拭い、世界の秩序の管理。堕ちた神のCEOとして、彼の戦いは終わらない。冷えたハンバーガーの残骸を片付けながら、ルシウスは小さくつぶやいた。
「……次こそは、予約を守れるといいのだが」
夜の闇が、執務室を包み込んでいた。

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