1961年8月12日は土曜日でいつもの週末でした。
政府高官や軍関係者がダンスパーティーで週末の夜を満喫する中、深夜に迎賓館へ集められた高官は東ドイツ第一書記ウルブリヒトから突然『壁』の建設計画を知らされます。

「東西ベルリン間は今から3時間以内に閉鎖される。」

それから間もなくベルリン各地で事前に準備されていた工作部隊が一斉に始動。
日を跨ぐ頃には既に東ドイツ政府は東西ベルリン間の道を全て遮断し、有刺鉄線で最初の『壁』を構築していました。
西ベルリンを管理していた英・米・仏3ヵ国の兵士が目を覚ました頃には全てが終わっていたのです。


この『ベルリンの壁』が作られた目的は、東ドイツから西側への人口流出を止めることでした。
終戦を機にドイツはソ連と西側諸国で東西に分割統治され、首都ベルリンは東側に位置しながらソ連と西側諸国で更に東西で分割統治される複雑な状況になっていました。
西側への『飛び地』である西ベルリンは空路or陸路で途中の東ドイツ領を飛び越えて西ドイツへのアクセスが認められており、このルートを用いて東ドイツから西ドイツへと逃亡する難民が急増。
この人口流出を防ぎつつ、かつて失敗したベルリン封鎖と異なり西側諸国を極力刺激しない奇策として考案されたのが、西ベルリンへと通じる全ての境界線の物理的な封鎖でした。
そのためベルリンの壁は全て東ベルリン領域内に設置されており、あくまで東ベルリンの人間を閉じ込めるための設備であるという点が強調されています。


当初は有刺鉄線を張っただけだった『壁』は年月を経ることに強化され、鉄筋コンクリート製のものを数十メートルの間隔を開けたうえで二重に設置して、2枚の壁の間は無人地帯としたうえで国境警備隊がパトロールする徹底した監視体制を構築しています。
なお先述の通り壁はあくまで東側住民を監視するためのもので西側住民は特に監視対象とはなっておらず、いつしか壁の西側では壁の建設を非難し撤去を求める政治的なメッセージやストリートアートで彩られるようになりました。


壁の本格的な構築が進む前に多くの東ベルリン市民が越境を試みています。
脱出目前で警官に捕まった女性を事前に待ち構えていた西側の市民が引っ張り返して脱出成功を手助けした例もあれば、列車の運転士が共謀してポイントを誤操作して東側から西側へと続く線路に有刺鉄線を引き倒しながら進入して乗客を西側に逃がしたり、手掘りのトンネルを掘削して複数名の亡命に成功したりという事例も数々存在しますが、それ以外の大半は壁に接近する前に捕まるか壁に挑もうとしたところで射殺されるかという末路を迎えています。
この文字通り『分断』の象徴であった壁が役目を終えるのは28年後、1989年11月9日まで待たねばなりません。

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