猛暑で旧盆の時期の日中は墓参りに来ることすら危険ということで、寺が夜に墓地をライトアップして、少し涼しくなった
夜に墓参りをしてもらえるように、という試みを始めているそうです。特に関東から東海は酷い気温なので。

生成順は投稿と同じく1枚目→2枚目。まあ2枚目に落ち着くまでに7枚くらい失敗と調整を重ねてるんですけど。

夜に墓場に来られると幽霊たちが出て来にくいかと思うけれど、実際は自分の子孫たちが会いに来てくれる貴重な機会だし、
モノによっては生きている人間の姿と大差ないこともあります。
生きている人間に悪さをしない程度の彼岸側の存在なんて目立とうとしていないならそこら中にいますし。
ただ、生きている人間と波長が微妙にズレて違っているので見えていないだけ。

それでも霊園は現世を生きている人間(此岸)とあちら側に逝ってしまったモノたち(彼岸)の接点となる場所なので
時間さえ合えば見ることも聞くことも、時には触れることだって出来ないわけじゃない。
見るだけなら母方の墓地がある雑司ヶ谷霊園とかで時々見てますしね。墓石の影とか木の陰からこっちを見てる連中の姿。

1枚目は普通に見えるけれど、画面右でベンチに座ってる人があちら側の人達です。足が透けてるのは日本だけなんですが。

江戸中期の円山応挙が描いた幽霊に茶をこぼしたら足が消え、怖かったので以降採用した、という俗説がありますけれど、
完全な嘘です。
応挙が描いたとされる幽霊画で確実に真筆だと判定されてるのは2点(安永年間の「幽霊図」)ありますが、こちらにお茶を
零したような痕跡は存在しません。
  ※個人所蔵でカリフォルニア大学バークレー校美術館に寄託されているものと、青森県弘前市久渡寺の所蔵品
それどころか、応挙が生まれる60年前に京都で刊行された浄瑠璃本「花山院后諍(かざんのいん きさきあらそひ)」に既に
足の無い幽霊の挿絵が掲載されているので、「応挙が足のない幽霊画の創始者」というのは間違いです。

元禄年間(1688~1704年)に刊行された「お伽はなし」では、幽霊はみな二本足になっていました。
しかし享保17年(1732)刊行の「太平百物語」では、幽霊の腰から下が細く描かれています。
享保年間(1716~36年)には下半身を朦朧とした姿で描くようになっており、さらに時代を経ると肘を曲げつつ手先を
力なく垂れる姿で描くようになっていったそうです。応挙が生まれたのはまさに享保年間の1733年です。

2枚目も一般の生きている参拝者と幽霊たち。「盆ちょうちん貸出」なんて幟を出して、荷台に乗ってる姿まで。
足元が微かに青白いので区別できると思いますが、4人(?)+荷台の男性が幽霊です。
一番左で子供に飴をあげてるのが子育て幽霊、左から2番目が画面左端の家族の曾祖母。見た目は石屋の若女将と大女将。
飴をもらってるのは左端で墓参りをしている家族の下の子(妹)です。

霊園のすぐ外に住宅街があるので、まさに此岸と彼岸の境目にある場所です。


【追記】
2026年8月15日のGPT Image 2デイリーランキング2位、ちちぷい生成機能デイリーランキング2位、
オリジナルデイリーランキング2位、デイリーランキング3位(呪文あり)いただきました。ありがとうございます。

【追記2】
投稿企画「#真夏の夜の怪異」累計2位いただきました。ありがとうございます。 (26年8月30日現在)

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