先日残業長引いて帰宅後に寝落ちしてしまいました💦


764年9月11日(天平宝字8年) 、藤原仲麻呂の乱が勃発。
当時の最高権力者である太上大臣・藤原仲麻呂(恵美押勝)が政敵を排除すべく起こした軍事クーデターであり、まさかの失敗&関係者の敗死という結末を迎えています。


藤原仲麻呂は、叔母の光明皇太后(聖武天皇の皇后)の信任を得て絶大な権力を振るいました。
760年(天平宝字4年)に遂に非皇族として史上初の太政大臣にまで登りつめ、文字通り国政の頂点に立ちます。
しかし同年6月には光明皇太后が亡くなり、その娘であった孝謙上皇が僧侶の道鏡を側に置いて寵愛するようになると仲麻呂の権勢はかげりを見せはじめます。
孝謙上皇は国家の大事や賞罰に関する権限を自ら掌握すると宣言しており、仲麻呂が擁立した淳仁天皇との対立も深刻化。
焦りを見せ始めた仲麻呂は自衛のための兵の動員を始めますが逆にそれが密告により反乱計画と見做され、孝謙上皇が先んじて行動を始めました。
764年9月11日、孝謙上皇は皇権の発動に必要な駅鈴を御所から没収、淳仁天皇を事実上の廃位をに追い込みます。
これを知った仲麻呂側も駅鈴を奪い返そうとし、ここから事態が一気に軍事衝突へ発展しました。


ここで討伐軍を指揮することになったのが吉備真備です。
聖武天皇の時代に活躍し、阿倍仲麻呂との交流や鑑真の来訪など遣唐使としての活躍で知られる真備でしたが、仲麻呂の勢力が強かった時期には九州へ左遷され、長く中央政界から離れていました。
そんな真備は既に齢70を数える老齢の身ながら、在唐中に取得した軍学の知識を買われて大抜擢されることになりました。
真備の類稀な軍略によって仲麻呂の軍勢は圧倒的多数でありながら都に攻め入ることができずに琵琶湖一帯で足止めされ、その間に仲麻呂の息子たちが次々と落命。
9月18日、追い詰められた仲麻呂は逃亡途上で斬殺されます。
権力の頂点にいた筈の人間が僅か1週間で窮死に追い込まれるという歴史的な転落劇となりました。


乱の終結後、真備は中央政界に復帰。
称徳天皇として再び即位した孝謙上皇の下でさらに昇進を重ね、最終的には右大臣にまで上り詰めています。
770年に称徳天皇の没した後、度重なる内乱に伴う粛清劇で廃絶寸前に追い込まれてた男系皇族の中から老齢の白璧王を見出し、光仁天皇(桓武天皇の父)としての即位に貢献した人物の一人が真備であったとも言われます。
775年10月、吉備真備は81年の生涯を閉じました。

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