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伏見城の戦いは、1600年8月26日(慶長5年7月18日)から1600年9月8日(8月1日)まで行われた関ヶ原の戦いの前哨戦です。
この合戦で伏見城を守護していた鳥居元忠ら1800人は西軍の宇喜多秀家が率いる40000人の大軍勢を前に13日に渡る籠城戦を繰り広げ、その全員が討死する壮絶な結末を迎えました。
『三河武士の鑑』――この時の奮戦ぶりから、元忠はその異名で讃えられることになります。


鳥居元忠は徳川家康が今川人質時代から仕え続けた、家臣団の中でも特に古参の重鎮の一人でした。
天正壬午の乱では約5倍の相手に奮戦、小田原攻めでも武功を挙げるなど、家康が天下を狙える一大勢力となってからも重用される信頼の厚い家臣でした。
1600年に家康が上杉征伐のために出兵すると、元忠は伏見城の守りを任されます。
多くの手勢を預けられないことを家康が詫びると、
「将来の殿には一人でも多くの家臣が必要でございます。
 我らは全員討死の覚悟故、人数を多くこの城に残すは無駄。
 天下を取るのでしたら一人でも多く城からお連れ下さい。」
元忠はこう語ったとされています。
出陣前夜に二人は酒を酌み交わし、これが今生の別れとなりました。


この伏見城の戦いで討死した元忠を筆頭に内藤家長・松平家忠らの一族は戦後の論功行賞で高く評価され、鳥居家に至っては嫡男・忠政の時代に磐城平藩10万石を経て山形藩22万石という当時の譜代トップの石高を誇る大名(歴代でも彦根藩に次ぐ第2位)に昇格しています。
その後も鳥居家は不行跡があった際でも元忠の勲功が大きいとして幾度となく取り潰しを免れ、明治の世まで存続しました。
元忠の子孫として有名な人物には大石内蔵助がいます。
(祖母が元忠の四男の娘)


元忠を討ち取った人物は、鉄砲頭の鈴木重朝です。
彼は紀州の鉄砲傭兵として知られる雑賀衆の出身とされており、伏見城一番乗りを果たして元忠とは一騎打ちを演じたと伝わっています。
元忠の忠義心に感じ入った重朝は元忠の甲冑『紺糸素縣縅二枚胴具足』を戦利品として預かり、後に鳥居家の許しを得て子孫代々に伝えました。
後に伊達政宗の仲介で重朝は家康との面会を果たし、元忠の最後を看取った縁を労われて水戸徳川家への士官が叶います。
その子孫は雑賀鈴木氏として水戸藩の重臣を代々務めました。

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