——ガチャリ。
私はバーの閉店作業を終え、最後に戸締まりをする。
そしていつもなら、ここで帰宅するか、軽く別のバーに寄ったりするか。 でも、今日はそのどちらでもない。
私は、指定された——深夜も営業しているカフェへ向かう。
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店のドアを開けると、奥のソファ席で、見慣れた顔がぱっと手を上げた。
「あ、香澄! お疲れ様」
——凪咲。
私の親友で、そして、私が一番、逃げられない相手だ。
「凪咲、ごめんね。こんな夜遅くまで待ってもらって」
「全然いいよ! それに、香澄と夜のデートなんてワクワクするし」
凪咲はそんな軽口を叩きながらも、いつもの笑顔より、ちょっとだけ固い気がする。
——こんな細かいところまで気づくんだな、私。
そんな場違いなことを思いながら、私は向かいに腰を下ろした。
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凪咲は、ホットココアを注文した。 私は、温かいルイボスティーを頼む。
二人とも、夜遅くにアルコールはやめたかった。 たぶん、今日は素面で話したい。
凪咲は、両手でカップを包んで、ふっと笑った。
「じゃあさ、香澄。聞かせてくれる?」
「……凪咲も、いきなり切り込んでくるのね」
「今更でしょ。それに、香澄と遥ちゃんの違和感、そろそろ私も何とかしたいのよね」
——やっぱり、凪咲相手には、嘘はつけないな。
そう改めて思った。
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有紗さんと澪さんに話せたのが、大きいんだと思う。
比較的、スラスラと、これまでのことを凪咲に話し始める。
遥のこと。 最近、急激に伸びていること。 もう**「教わる側」**ではなく、自分と同じ景色を見始めていること。
嬉しい。 誇らしい。
でも——怖い。
「あの夜、私が教えたのとは違う水割りを出してきて——」
そう言いかけた時、凪咲が小さく頷いた。
「ああ、グレンリベットの」
——あれ?
私は、銘柄まで話していない。 でも、凪咲は、何でもないように言った。
「凪咲」
「ん?」
「……グレンリベットって、私、今、初めて言ったよね?」
凪咲は、一瞬だけ、ココアのカップに視線を落とした。
「ああ、そう……だっけ? なんか、最近どこかで聞いた気がして」
「……」
私は、それ以上、突っ込まなかった。 でも、胸の奥で、何かが、また一つ、繋がった気がした。
——そして、思い出す。 凪咲のカードケースからちらりと見えた、ここのスタンプカード。
つい先日も、ここに来ているはずだ。
——誰と?
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私は、続きを話した。
水割りが、自分には辿り着けない場所に届いていたこと。 そして。
「……遥に、教えたくないって、思ったの」
これも、びっくりするくらい素直に話せた。 ……たぶん、有紗さんと澪さんに、二回ずつ言葉にした後だから。
「……なるほど」
凪咲はそう言いつつ、じっと、どこでもない所を見ながら、深く考え込み始めた。
彼女を知らない人なら、その態度は、こちらを見ていないと感じるかもしれない。 でも、実際は違う。
これは、凪咲が誠実に考え込んでいる、何よりの証拠だ。
普段は、その態度を、何よりも頼もしく感じる。 でも、今日だけは、少しだけ不安だった。
——名前がついただけの感情が、私の中で、まだちくちくしている。 その正体を、今度こそ、誰かに見抜いてほしくて。 でも、見抜かれることが、怖くもあって。
矛盾した気持ちを抱えながら、私は凪咲の言葉を待った。
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「……ちょっとさ、外、歩かない?」
しばらくの沈黙の後、凪咲は意外な提案をしてきた。
「外?」
「うん。店の中だと、なんか、言いにくいこともあるじゃん。 外の方が、お互い、顔色見えにくいし」
私は、思わずといった形で頷いた。
二人で会計を済ませる。 レジで、凪咲が財布を出した時、私の視界の隅に、カードケースの中のスタンプカードが、また映った。
スタンプは、新しいものが、ぽつんと先週分に押されている。
私は、それを見ないふりをした。
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深夜の街を、凪咲と並んで歩く。
いくら二人とはいえ、危ない場所は避けて、灯りのある通りを選ぶ。 それでも、適度に暗いところを歩くと、お互いの顔色が見えにくくて、少し気楽になった。
凪咲は、ポケットに手を入れたまま、しばらく、何も言わずに歩いていた。 その横顔は、考え事をしている時の凪咲の顔だ。
——どう切り出すんだろう。
私が、そんなことを思った時、凪咲が、ぽつりと言った。
「香澄さ……このこと、私の前に、誰かに相談したでしょ」
「……うん」
何から何までバレていることに、本当に驚く。
「じゃあさ、相談して思ったことを、聞かせてくれない? 多分、さっきカフェで話してくれたのって、香澄が自分で考えたところだよね」
今更、驚くのも馬鹿らしくなるくらい、的確だ。
私は、そのまま、有紗さんと澪さんと話したことを伝える。
有紗さんに、自分の気持ちに名前をつけてもらったこと。 でも、それだけでは、解決しなかったこと。
澪さんに、教える人は皆通る道だって言われたこと。 でも、まだ、上手く笑えないこと。
全部、正直に話した。
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凪咲は、私の話が終わるまで、何も口を挟まなかった。 ただ、ゆっくりと並んで歩きながら、聞いていた。
そして、私が話し終えた後、しばらく沈黙が続いた。
街灯の下を通る時、凪咲の横顔がほんの一瞬だけ照らされる。 その表情は、いつものふざけた感じとは、まったく違っていた。
「……なんかさ、香澄が、最初に私に聞かなかった理由、分かった気がする」
「……」
「遥ちゃんとのこと、ほんとに向き合う覚悟が、実はあったんだと思う」
私は、足を止めそうになった。
「だから、私じゃなくて、頼れる年長者の有紗先輩と、澪さんに、まず話した。 それは、“ちゃんと解決したかった”証拠」
「……」
「ただ、幼馴染の私に話して、気楽になる道は、選ばなかった」
——ああ。
凪咲は、私を、長年見てきた人の目で、見ている。 私自身が気づいていなかったことを、当たり前のように、言葉にしてくれる。
「じゃあ、もう、遥ちゃんにどう思ってるのか、自分で答えが出てない?」
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その問いに、私は、しばらく、答えられなかった。
夜の街を、また少し、ゆっくり歩く。
——答えは、出ていた。 でも、それを口にすると、たぶん、後戻りできなくなる。
それでも、凪咲の前では、隠せなかった。
「……遥と、一緒にいること。 本当に良いのか、分からなくなった」
「……」
「慕ってくれるのは、本当に嬉しい。 でも、私じゃ、遥の成長に、蓋させてない? そんな関係って、健全なの?」
絶対に、凪咲相手じゃないと、出てこないセリフだった。
口にした瞬間、自分の声が、震えているのが分かった。 それから、視界が、ほんの少しだけ、滲んだ。
——あ。
そう、思った時にはもう、止められなかった。
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凪咲は、私の方を見ない。 ただ、隣を、同じ歩幅で、歩き続けてくれていた。
そして、少しの間を置いて、ぽつりと言った。
「……今、言うべきじゃないんだと思うけど。言うね」
「……」
「香澄って、そんな顔できるんだって思った」
「……え?」
凪咲は、ようやく、こちらに顔を向けた。
そして、本当に静かに、こう言った。
「香澄、泣いてるよ?」
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——え。
私は、慌てて、頬に手を当てた。
濡れていた。 自分でも、気づかなかった。
「……ごめん」
「謝らなくていいよ」
凪咲は、ぱっと笑った。
その笑顔は、いつもの凪咲の、明るいやつだった。
「むしろ、長年の幼馴染で、初めてだよ。香澄の泣き顔見たの」
「……」
「役得」
「役得って」
私も、ようやく、ふっと笑った。 笑いながら、また涙が出てきた。
凪咲は、近くの自販機の前で足を止めた。
「ちょっと座ろっか」
「うん」
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ベンチに、二人で座る。
凪咲は、ホットの缶コーヒーを二本買って、一本を私に渡してくれた。
「ありがと」
「いいよ」
しばらく、二人で、缶の温かさを手のひらで感じていた。
凪咲が、ぽつりと言った。
「香澄」
「ん?」
「正直に言うとさ。私、香澄の今の気持ち、半分しか分かんないよ」
私は、缶を握ったまま、凪咲を見た。
「半分?」
「うん。私も仕事で、同期や近い人に勝ちたくなるってことは、たまにある。 だから、追いつかれる側の怖さは、想像できる」
「……」
「でも、私は、教える側になったことが、ない」
凪咲は、缶を両手で包む。
「自分が育てた相手に、追いつかれる怖さ。 そういう怖さは、私には、本当の意味では、たぶん分からない」
それは有紗さんが言ったことと、似ていた。 でも、有紗さんの時とは、温度が違った。
有紗さんは、構造として自分の限界を語った。 凪咲は、自分の体温で自分の限界を語っている。
「……ありがとう」
私は、ぽつりと言った。
「正直に言ってくれて」
「いえいえ」
凪咲は、ふっと笑う。
「だからさ、香澄。 たぶん、私が出せるのは、ここまでなんだよね。 気持ちを吐き出せる場所にはなれる。 でも、答えは、私からは、出せない」
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——気持ちを吐き出せる場所。
その言葉が、胸の中で、静かに広がった。
——ああ、そうだ。 たぶん、私が今夜、凪咲に会いたかったのは、それだった。 答えをもらいに来たんじゃない。 ただ、気持ちを吐き出したかっただけだ。
そして、それを凪咲は、ちゃんと理解してくれていた。
「……凪咲」
「ん?」
「ほんと、長い付き合いだね」
「でしょー?」
凪咲は、得意げに鼻を鳴らした。
その仕草が、なんだか可笑しくて、私は、また笑った。
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しばらく、二人で、缶コーヒーを飲んだ。
冬の夜の空気の中で、缶の温かさだけが、手のひらに残っている。
私は、ぽつりと言った。
「……でも、ね、凪咲」
「ん?」
「答えは、まだ出てないの」
「うん」
「『遥と一緒にいて良いのか分からない』って、思っちゃってる時点で、私、たぶん、まだ、自分の中で何かが整理しきれてない」
「うん」
凪咲は、ただ、頷いた。
私は、夜空を見上げる。 冬の空に、星が、ぽつんといくつか、見えた。
——星の冷たい光を見ながら、ふと、ある人の顔が、頭に浮かんだ。
なぜ、今、その人を思い出したのか、自分でも分からない。 ただ、ふっと、頭の中に降りてきた。
「……麻美先輩のこと、なんか、急に思い出した」
「……」
凪咲は、こちらを見た。
「会いたく、なった」
口に出してみたら、それは、確かに今の自分の本音だった。
理由は、まだ、整理がついていない。 ただ、有紗さんでも、澪さんでも、凪咲でもない誰かに——今夜の私の話を、聞いてほしいと思っている。
その「誰か」が、麻美先輩だった。それだけは、確かだった。
凪咲は、しばらく、私を見ていた。 それから、ふっと、笑った。
「……うん。いいんじゃない?」
それ以上、凪咲は、何も言わなかった。
——でも、たぶん、凪咲は分かっていた。 私が、なぜ、麻美先輩の名前を出したのか。 私自身が、まだ言葉にできていない理由まで、たぶん、見えている。
長い付き合いの中で、私たちは、こうやって、言葉にしないままで通じることが、何度かあった。 今夜も、そのうちの一回だった。
「ありがと、凪咲」
「いえいえ。役得だったし」
凪咲は、また、にっと笑った。
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帰り道。
凪咲とは、駅の手前で別れた。
「じゃあね、香澄」
「うん。今夜、ほんと、ありがとう」
「気をつけて帰ってね」
「凪咲もね」
笑いながら、凪咲は、手を振って、改札へ向かっていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は、ふと、思った。
——凪咲は、たぶん、遥とも、どこかで話してる。
スタンプカード。 グレンリベットの銘柄に、何でもないように頷いた、あの瞬間。
確信は、まだない。 でも、たぶん、当たっている。
——それでも。
今夜、凪咲は、遥のことを、一言も言わなかった。 私の話を、私の言葉で、最後まで聞いてくれた。
それが、凪咲なりの誠実さだったんだろう。
そして、最後に私が麻美先輩の名前を出した時、凪咲は、何も解説せずに、ただ頷いてくれた。
私は、コートのポケットに手を入れて、ゆっくり歩き出した。
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家に帰り着いた頃、外はすっかり静まり返っていた。
私は、コートを脱いで、ソファに腰を下ろした。
スマートフォンを、ふと手に取る。
——麻美先輩に、連絡しようか。
そう、一度は思った。 有紗さん、澪さんとの約束を取り付けた時のように。
でも、指が動かなかった。
なぜか、それは違う気がした。
麻美先輩は、自分から会いに行く相手ではない気がする。
うまく言葉にできないけれど——
呼びつけるのも、押しかけるのも、なんだか違う。
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私は、スマートフォンを置いた。
そして、しばらく、ぼんやりと天井を見上げていた。
——きっと、来てくれる。
そんな、根拠のない予感が、頭の中に、ぽつんとあった。
麻美先輩は、人の気持ちを、誰よりも汲める人だ。 あの人の場合、こちらから言わなくても、何か感じれば、ふらっと来てくれる気がした。
それは、私の身勝手な願いなのかもしれない。 でも、なぜか、その気がした。
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私は、ベースのケースに、軽く手を置いた。
今夜は、まだ、弾く気にはなれない。 でも、いつか、また弾きたくなる日が、来る気がした。
それまで、待っていよう。
来てくれる人を、待つ。 自分から動かない夜が、人生には、たまにあってもいい。
そう、思えた。
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外で、冬の風が、少し強くなっていた。
でも、不思議と、今夜は、寒くなかった。
たぶん、隣を、誰かが歩いてくれた感覚が、まだ、残っていたから。
そして、もう一人、これから歩いてくれるかもしれない人を、静かに、待つ温度が、胸の中にあったから。
私は、ゆっくりと、目を閉じた。
明日、店に立つ。 そして、いつものように、扉のベルが鳴るのを、ずっと待つ。
——いつもより、少しだけ、特別な気持ちで。

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香澄さん主役のお話も、これで第四話。
過去のお話は、タグ「ほどく_A.Libra」より辿れます。

香澄さんはいよいよ、幼馴染で誰よりもお互いを知る凪咲さんに悩みを打ち明けました。
気の置けない仲だからこそ出てくるセリフの数々、ここはclaudeさんの表現力に驚かされっぱなしでした。

今回色々なシーンをchatGPTさんに描いてもらったんですが、一番サムネに起きたくなったのがこちら。
二人並んでベンチに座るシーンが私の頭の中で描いたものとピッタリで、タイトルの「並んで歩く」との整合性を考えたものの、これしかないと思いました。

さて、いよいよ次は最後の相談相手。
自分も相手も大いに影響を与えあった先輩。
その麻美さんからは、どんな言葉が出るのか。ですね。

呪文

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