自作小説「想霊日和」第十話『神様への叛逆その1』
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第十話 神様への叛逆その1
村の入り口には、すでに二台の車が並び、三人の人影が立っていた。
ひとりは、短く整えられた髪の男。目元がやわらかく、温和な空気を纏っている。
対霊隊封印班班長──八木正道。
隣には、ひときわ大柄な男が腕を組んでいた。背筋は真っ直ぐ、足の裏が地に沈み込むような立ち姿。
対霊隊拘束特務班副班長──灰島武臣。
そしてもうひとりは、長い栗色の髪をウェーブさせた垂れ目の女性。目の下にうっすら隈、だがその立ち振る舞いは怠さと艶をないまぜにしていた。
想霊道具専門店『月映堂』の店主──月見ねね子。
そこに、黒塗りのセダンが止まった。
助手席のドアが開き、小柄な女性が姿を現す。藍田凛。腕まくりをして、車の後部座席へとまわる。
「ふんっ……」
唸りながら何かを引きずり出す。白くもふもふとした巨大な塊。
「……気合い入れすぎて、大きくしすぎちゃったな……っ」
ずりっ、ずりっ、と降ろされるのは、何日もかけて作り上げたシロクマさん。2メートルを超えるサイズはあろうかという巨体が、ようやく地に下りる。
三人の大人たちが、それを静かに見守っていた。
「お久しぶりです、凛さん。以前、神崎さんの事務所でお会いしましたね」
八木が微笑みながら言う。どこか父性的な安心感がある。
「お久しぶりです、八木さん」
凛の声が、以前よりも少し落ち着いていた。少し背伸びした口調に、八木は何も言わず、ただ目元を細めて頷いた。
「こちらのお二人は初めてですね」
「灰島武臣です。よろしくお願いします」
低く落ち着いた声。無駄のない動作。肩幅も広く、存在そのものが“壁”のようだった。
「初めましてぇ~。あたしは月見ねね子。道具屋やってまぁす」
くすりと笑うねね子。手をひらひらと振り、ふんわり甘い香りを振りまいた。
「初めまして、藍田凛と申します。本日はよろしくお願いします」
凛が丁寧に一礼する。
「可愛いクマさんだねぇ~。付喪神ぃ?」
「いえ、これは私が作ったものです。この紐に霊気を通して操ります」
凛は指先で紐をくるくると回す。どこか誇らしげな表情。
「へぇー、あたしと気が合いそうだねぇ」
その間に、灰島が咳払いをして一歩前に出る。
「……世間話はほどほどに。今回の任務、確認しましょう」
「むぅ、灰島さん、真面目すぎ~」
唇を尖らせるねね子に、八木が軽く右手を上げて場を整える。
「今回は、私が指揮をとります」
静かに、だが明瞭に告げた八木に、一同が頷く。
「凛さんの報告によれば、対象は二体」
「一体は“目と皮膚のない想霊体”。夕方以降に井戸から出現。音に反応し、体当たりによる破壊行動が確認されています」
「もう一体は、“真っ白な木で人を模した想霊体”。その能力は、触れた人間を“落ち葉”に変える」
灰島の眉がわずかに動く。
「触れるだけで即死、か……厄介だな」
「ただし、地面から生えたような痕跡があり、移動は遅い。おそらくは、元々“神”として祀られていた存在でしょう」
八木が静かに続ける。
「目と皮膚のない方を、仮称“メナシ”。木の方を、“ハクボク”と呼称します」
その瞬間。
「私に、ハクボクを担当させてください」
凛の声が割り込んだ。真っ直ぐ、八木の瞳を見ている。
「とても危険ですよ。……前回の接触で、神崎さんと月岡くんは……」
「わかっています。復讐なんかじゃありません。ケジメです」
凛の声が揺るがない。
しばしの沈黙。
灰島の口元がわずかに吊り上がった。
その表情を、八木が横目で確認し、やがて小さく頷く。
「……わかりました。では作戦を立て直しましょう」
――風が鳴った。陽が傾く。遠くで蝉が鳴き始める。
戦いの準備は、整いつつあった。
夕刻。
山の音が、昼間とはまるで異なる響きを帯びはじめる。
ざわざわと枝葉がこすれる音、鳥ではない何かの羽ばたき、地の奥から鳴るような沈んだ風の唸り。
風は、少し涼しい。
そして、斜陽が村全体を朱に染め上げていく。
井戸の位置が、遠目に確認できる場所。
少し離れたそこに、灰島とねね子の姿があった。
灰島の腕には、黒の小手が装着されている。漆を塗り重ねたような光沢と、異様なまでに禍々しい呪符が縫い込まれている。
ねね子の左右には、腰の高さほどの日本人形が二体。
髪を結い、洋装のエプロンを着せられたその姿は、どこか不気味で、どこか優雅だった。
ただし、その手に握られた鋼のナタが、それを完全に戦闘兵器へと変貌させていた。
「二人ともぉ、よろしくねぇ~」
ねね子が猫撫で声で語りかけると、人形たちは同時にこくりと頷いた。
それを少し離れた高台から見守る凛と八木。
凛は、常に“シロクマさん”の操縦紐に手をかけたまま、指先で張力を調整していた。
横目でちらりと見たねね子の人形に、心の中で問いを浮かべる。
(あれ……やっぱり、付喪神なのかな?)
しかし、いまは訊いている余裕はない。
一方、隣の八木は霊用の特殊コートを纏い、手には鋭く研がれた一本の杭を握っていた。
打ち込むためのそれは、ただの杭ではない。想霊体の動きを“封ずる”想霊術が彫り込まれている。
十分ほどの、重たい沈黙。
やがて。時間がきた。
コチン……と、井戸の淵に、皮膚のない“手”がかかった。
続いて、顔が……いや、“顔”らしきものが覗く。
眼球もまぶたもない。のっぺりとした、粘膜のような面。
それがヌルリと浮かびあがるように、井戸から這い出す――
その瞬間。
バチンッ!!
ナタが深く、頭部へ突き刺さった。
日本人形の一体が、ぬるりとした顔面に正確に刃を打ち込んでいたのだ。
「出る場所がわかってるんだからねぇ?」
メナシの口が裂けるように開く。叫び声を上げている――
が、声帯はない。
何も発されないはずだった。
――にもかかわらず、「聞こえた」。
頭の奥に、異音が鳴った。
神経を直接叩くような衝撃。
「……ッ!」
凛が思わず一歩後退し、眉を寄せる。
そして、井戸からもう一体。
「ッ!?」
もうひとつのメナシが姿を現す。
まったく同じ姿。皮膚も目もない、異様な肉塊。
それがもう日本人形を殴り飛ばした。木製の体が空を舞い、地に転がる。
「二体いたのかぁ……」
ねね子が気だるげに呟いた。
その瞬間、灰島が動いた。
だが、その動きは、驚くほどに――鈍い。
駆けるでもなく、避けるでもない。
大地に根を張るかのように、ただそこに“立った”。
「ぅうぉぉおおおお!!!」
灰島が低く、太い声で絶叫する。
その巨体に、メナシが突進する。
地を裂き、木々をなぎ倒し、獣のような質量が一直線に灰島へ――
「――来い」
低く、唸るような声。
次の瞬間だった。
ドグォンッッ!!
爆ぜた音。空気が震え、地面が軋み、山が呻く。
想霊体の頭部が、灰島に直撃していた。
それを――灰島は、腕一本で、止めたのだ。
まるで、砲弾を手で受け止めたような光景。
肉が潰れ、骨が歪むような音が響いたはずなのに、灰島の表情は微動だにしない。
顔を歪めることもなく、ただ、そこに“ある”。
「……重いな」
吐き捨てるような声とともに、わずかに足を開く。
霊気が地を這うように広がり、空気が震えた。
――次の瞬間。
バキィッ!
灰島の肘が軋み、想霊体の頭蓋ごと持ち上げた。
「……この程度か」
そして。
ズドンッ!!
全身をひねり、メナシを地面に叩きつけた。
土が爆ぜ、岩が砕け、地面が一瞬たわんだ。
想霊体がもがき、粘膜が飛び散る。だが灰島は構わない。
その上に膝を落とし、拳を振り上げる。
拳には、禍々しい呪符の刻まれた小手。
その一撃に込められたのは、霊気の“衝”ではない。
――ただの“質量”だった。
ズッ!! ズッ!! ズッ!!
想霊体の顔が、徐々に地に沈む。
叩きつけるたびに、地面が凹む。
凹んだ地面に、血でも泥でもない“何か”が染みていく。
それでも灰島は止めない。
「動かなくなるまで、叩き潰す」
まるでそれが“正義”だと信じているかのように。
ズッ!! ズッ!! ズッ!!
想霊体の体が、徐々に地に沈む。叩きつけるたびに、地面が凹み、泥と霊気が混じった液体が滲み出す。
――完全に沈黙したかに見えた、そのときだった。
ず……る……
灰島の背後。すでに倒されたはずの、もう一体のメナシが、地を這うように頭部を持ち上げた。
ナタの刺さった顔面が、ズルリと再生していく。骨のない肉が這い寄るようにまとまり、ぬるりと“形”を取り戻していく。
ずっ……ずず……
さらに足元で、灰島の拳に潰されたもう一体のメナシが、腹部から“裂け”、内部の粘膜が脈打つように震えていた。
「……ッ!」
凛が息を呑む。ねね子の人形も、音を立てずに身構える。
ぴちゃっ
次の瞬間、二体のメナシが同時に立ち上がった。
完全には原形を取り戻していない。だがそれゆえに異様だった。歪んだ四肢、ねじれた胴体、形の定まらぬ顔面。それでも“生”を諦めないように、ぬちゅ……ぬちゅ……と音を立てて灰島に向かってにじり寄る。
「……不死、か。あるいは、そう“見える”だけか」
灰島が呟いた。
足を引かない。構え直すこともない。ただ、再び拳を握りなおすだけ。
「上等だ。じゃあ、もう一度、潰すだけだ」
「……あんなの...初めて見た……」
凛が小さく呟く。
八木が語るように言う。
「“想霊体に対して、物理で真っ向から受け止めてはいけない”この世界の常識ですが彼には関係ありません」
風が、再び鳴る。
陽は、あとわずかで完全に落ちようとしていた。
陽は、あとわずかで完全に落ちようとしていた。
空が、黒に沈む寸前の赤紫に染まり、風の音だけが村を撫でていた。
「……さて」
八木がゆっくりと振り返る。
「私たちの相手はこちらですね」
その声が空気に溶けたとき、背後に“気配”があった。
気づけば、そこに――“いた”。
白一色。
人を模してはいるが、どこにも人間らしさのない“それ”。
木の幹のような質感の体に、ぽっかりと開いた胸の穴。
頭部にあるのは目だけ。無表情で、まばたきすらしない。
まるで、ずっと前からそこにいたかのように。
まるで、自分たちの行動すべてを見ていたかのように。
その“視線”が動かぬまま、確かに、こちらを見ている。
それは、「神」と呼ばれていたもの――
いや、神であることを“やめさせられた”何かだった。
虫の声が止んでいた。風が凪いだ。
音のすべてが吸い込まれるように消え――
ただ、ハクボクの存在だけが、周囲の空気を支配していた。
村の入り口には、すでに二台の車が並び、三人の人影が立っていた。
ひとりは、短く整えられた髪の男。目元がやわらかく、温和な空気を纏っている。
対霊隊封印班班長──八木正道。
隣には、ひときわ大柄な男が腕を組んでいた。背筋は真っ直ぐ、足の裏が地に沈み込むような立ち姿。
対霊隊拘束特務班副班長──灰島武臣。
そしてもうひとりは、長い栗色の髪をウェーブさせた垂れ目の女性。目の下にうっすら隈、だがその立ち振る舞いは怠さと艶をないまぜにしていた。
想霊道具専門店『月映堂』の店主──月見ねね子。
そこに、黒塗りのセダンが止まった。
助手席のドアが開き、小柄な女性が姿を現す。藍田凛。腕まくりをして、車の後部座席へとまわる。
「ふんっ……」
唸りながら何かを引きずり出す。白くもふもふとした巨大な塊。
「……気合い入れすぎて、大きくしすぎちゃったな……っ」
ずりっ、ずりっ、と降ろされるのは、何日もかけて作り上げたシロクマさん。2メートルを超えるサイズはあろうかという巨体が、ようやく地に下りる。
三人の大人たちが、それを静かに見守っていた。
「お久しぶりです、凛さん。以前、神崎さんの事務所でお会いしましたね」
八木が微笑みながら言う。どこか父性的な安心感がある。
「お久しぶりです、八木さん」
凛の声が、以前よりも少し落ち着いていた。少し背伸びした口調に、八木は何も言わず、ただ目元を細めて頷いた。
「こちらのお二人は初めてですね」
「灰島武臣です。よろしくお願いします」
低く落ち着いた声。無駄のない動作。肩幅も広く、存在そのものが“壁”のようだった。
「初めましてぇ~。あたしは月見ねね子。道具屋やってまぁす」
くすりと笑うねね子。手をひらひらと振り、ふんわり甘い香りを振りまいた。
「初めまして、藍田凛と申します。本日はよろしくお願いします」
凛が丁寧に一礼する。
「可愛いクマさんだねぇ~。付喪神ぃ?」
「いえ、これは私が作ったものです。この紐に霊気を通して操ります」
凛は指先で紐をくるくると回す。どこか誇らしげな表情。
「へぇー、あたしと気が合いそうだねぇ」
その間に、灰島が咳払いをして一歩前に出る。
「……世間話はほどほどに。今回の任務、確認しましょう」
「むぅ、灰島さん、真面目すぎ~」
唇を尖らせるねね子に、八木が軽く右手を上げて場を整える。
「今回は、私が指揮をとります」
静かに、だが明瞭に告げた八木に、一同が頷く。
「凛さんの報告によれば、対象は二体」
「一体は“目と皮膚のない想霊体”。夕方以降に井戸から出現。音に反応し、体当たりによる破壊行動が確認されています」
「もう一体は、“真っ白な木で人を模した想霊体”。その能力は、触れた人間を“落ち葉”に変える」
灰島の眉がわずかに動く。
「触れるだけで即死、か……厄介だな」
「ただし、地面から生えたような痕跡があり、移動は遅い。おそらくは、元々“神”として祀られていた存在でしょう」
八木が静かに続ける。
「目と皮膚のない方を、仮称“メナシ”。木の方を、“ハクボク”と呼称します」
その瞬間。
「私に、ハクボクを担当させてください」
凛の声が割り込んだ。真っ直ぐ、八木の瞳を見ている。
「とても危険ですよ。……前回の接触で、神崎さんと月岡くんは……」
「わかっています。復讐なんかじゃありません。ケジメです」
凛の声が揺るがない。
しばしの沈黙。
灰島の口元がわずかに吊り上がった。
その表情を、八木が横目で確認し、やがて小さく頷く。
「……わかりました。では作戦を立て直しましょう」
――風が鳴った。陽が傾く。遠くで蝉が鳴き始める。
戦いの準備は、整いつつあった。
夕刻。
山の音が、昼間とはまるで異なる響きを帯びはじめる。
ざわざわと枝葉がこすれる音、鳥ではない何かの羽ばたき、地の奥から鳴るような沈んだ風の唸り。
風は、少し涼しい。
そして、斜陽が村全体を朱に染め上げていく。
井戸の位置が、遠目に確認できる場所。
少し離れたそこに、灰島とねね子の姿があった。
灰島の腕には、黒の小手が装着されている。漆を塗り重ねたような光沢と、異様なまでに禍々しい呪符が縫い込まれている。
ねね子の左右には、腰の高さほどの日本人形が二体。
髪を結い、洋装のエプロンを着せられたその姿は、どこか不気味で、どこか優雅だった。
ただし、その手に握られた鋼のナタが、それを完全に戦闘兵器へと変貌させていた。
「二人ともぉ、よろしくねぇ~」
ねね子が猫撫で声で語りかけると、人形たちは同時にこくりと頷いた。
それを少し離れた高台から見守る凛と八木。
凛は、常に“シロクマさん”の操縦紐に手をかけたまま、指先で張力を調整していた。
横目でちらりと見たねね子の人形に、心の中で問いを浮かべる。
(あれ……やっぱり、付喪神なのかな?)
しかし、いまは訊いている余裕はない。
一方、隣の八木は霊用の特殊コートを纏い、手には鋭く研がれた一本の杭を握っていた。
打ち込むためのそれは、ただの杭ではない。想霊体の動きを“封ずる”想霊術が彫り込まれている。
十分ほどの、重たい沈黙。
やがて。時間がきた。
コチン……と、井戸の淵に、皮膚のない“手”がかかった。
続いて、顔が……いや、“顔”らしきものが覗く。
眼球もまぶたもない。のっぺりとした、粘膜のような面。
それがヌルリと浮かびあがるように、井戸から這い出す――
その瞬間。
バチンッ!!
ナタが深く、頭部へ突き刺さった。
日本人形の一体が、ぬるりとした顔面に正確に刃を打ち込んでいたのだ。
「出る場所がわかってるんだからねぇ?」
メナシの口が裂けるように開く。叫び声を上げている――
が、声帯はない。
何も発されないはずだった。
――にもかかわらず、「聞こえた」。
頭の奥に、異音が鳴った。
神経を直接叩くような衝撃。
「……ッ!」
凛が思わず一歩後退し、眉を寄せる。
そして、井戸からもう一体。
「ッ!?」
もうひとつのメナシが姿を現す。
まったく同じ姿。皮膚も目もない、異様な肉塊。
それがもう日本人形を殴り飛ばした。木製の体が空を舞い、地に転がる。
「二体いたのかぁ……」
ねね子が気だるげに呟いた。
その瞬間、灰島が動いた。
だが、その動きは、驚くほどに――鈍い。
駆けるでもなく、避けるでもない。
大地に根を張るかのように、ただそこに“立った”。
「ぅうぉぉおおおお!!!」
灰島が低く、太い声で絶叫する。
その巨体に、メナシが突進する。
地を裂き、木々をなぎ倒し、獣のような質量が一直線に灰島へ――
「――来い」
低く、唸るような声。
次の瞬間だった。
ドグォンッッ!!
爆ぜた音。空気が震え、地面が軋み、山が呻く。
想霊体の頭部が、灰島に直撃していた。
それを――灰島は、腕一本で、止めたのだ。
まるで、砲弾を手で受け止めたような光景。
肉が潰れ、骨が歪むような音が響いたはずなのに、灰島の表情は微動だにしない。
顔を歪めることもなく、ただ、そこに“ある”。
「……重いな」
吐き捨てるような声とともに、わずかに足を開く。
霊気が地を這うように広がり、空気が震えた。
――次の瞬間。
バキィッ!
灰島の肘が軋み、想霊体の頭蓋ごと持ち上げた。
「……この程度か」
そして。
ズドンッ!!
全身をひねり、メナシを地面に叩きつけた。
土が爆ぜ、岩が砕け、地面が一瞬たわんだ。
想霊体がもがき、粘膜が飛び散る。だが灰島は構わない。
その上に膝を落とし、拳を振り上げる。
拳には、禍々しい呪符の刻まれた小手。
その一撃に込められたのは、霊気の“衝”ではない。
――ただの“質量”だった。
ズッ!! ズッ!! ズッ!!
想霊体の顔が、徐々に地に沈む。
叩きつけるたびに、地面が凹む。
凹んだ地面に、血でも泥でもない“何か”が染みていく。
それでも灰島は止めない。
「動かなくなるまで、叩き潰す」
まるでそれが“正義”だと信じているかのように。
ズッ!! ズッ!! ズッ!!
想霊体の体が、徐々に地に沈む。叩きつけるたびに、地面が凹み、泥と霊気が混じった液体が滲み出す。
――完全に沈黙したかに見えた、そのときだった。
ず……る……
灰島の背後。すでに倒されたはずの、もう一体のメナシが、地を這うように頭部を持ち上げた。
ナタの刺さった顔面が、ズルリと再生していく。骨のない肉が這い寄るようにまとまり、ぬるりと“形”を取り戻していく。
ずっ……ずず……
さらに足元で、灰島の拳に潰されたもう一体のメナシが、腹部から“裂け”、内部の粘膜が脈打つように震えていた。
「……ッ!」
凛が息を呑む。ねね子の人形も、音を立てずに身構える。
ぴちゃっ
次の瞬間、二体のメナシが同時に立ち上がった。
完全には原形を取り戻していない。だがそれゆえに異様だった。歪んだ四肢、ねじれた胴体、形の定まらぬ顔面。それでも“生”を諦めないように、ぬちゅ……ぬちゅ……と音を立てて灰島に向かってにじり寄る。
「……不死、か。あるいは、そう“見える”だけか」
灰島が呟いた。
足を引かない。構え直すこともない。ただ、再び拳を握りなおすだけ。
「上等だ。じゃあ、もう一度、潰すだけだ」
「……あんなの...初めて見た……」
凛が小さく呟く。
八木が語るように言う。
「“想霊体に対して、物理で真っ向から受け止めてはいけない”この世界の常識ですが彼には関係ありません」
風が、再び鳴る。
陽は、あとわずかで完全に落ちようとしていた。
陽は、あとわずかで完全に落ちようとしていた。
空が、黒に沈む寸前の赤紫に染まり、風の音だけが村を撫でていた。
「……さて」
八木がゆっくりと振り返る。
「私たちの相手はこちらですね」
その声が空気に溶けたとき、背後に“気配”があった。
気づけば、そこに――“いた”。
白一色。
人を模してはいるが、どこにも人間らしさのない“それ”。
木の幹のような質感の体に、ぽっかりと開いた胸の穴。
頭部にあるのは目だけ。無表情で、まばたきすらしない。
まるで、ずっと前からそこにいたかのように。
まるで、自分たちの行動すべてを見ていたかのように。
その“視線”が動かぬまま、確かに、こちらを見ている。
それは、「神」と呼ばれていたもの――
いや、神であることを“やめさせられた”何かだった。
虫の声が止んでいた。風が凪いだ。
音のすべてが吸い込まれるように消え――
ただ、ハクボクの存在だけが、周囲の空気を支配していた。
呪文
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