奇貨

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漢三年、漢は魏国を滅ぼしたが、漢の天下平定戦略とは別の処で歴史が動いたと言える。

即ち、後に守成の名君として中国史における代表的な存在になる文帝劉恒を生むことになる、魏の王族を母に持つ薄姫が劉邦の後宮に入るきっかけになったからであった。
(つまり、文帝劉恒は遠祖を辿れば周王室姫氏の血を引いていることになり、実は劉邦の諸子の中では最も母方の身分が高い)

正妻呂后の血筋は外孫である張氏以外には残らなかったが(張氏一族はこの後も長く続き、中国史上重要な人物を輩出している)、後年の漢の皇族宗室は劉邦の庶長子斉王劉肥の血統等の一部少数例を除き、ことごとくこの薄姫を祖先とするのである。

その意味において、漢帝国における劉氏一族にとってはまさに「母」というべき存在であった。

「許負相薄姬,當生天子」

史記外戚世家と漢書高祖薄姬伝は記す...が、これは事実かどうか。但し許負という観相家は実在したらしい。

史書の記述は薄氏自身の回想から記述されたと思われるので、これが薄氏自身の創作としたら、なかなか端倪すべからざる女性である。

これが彼女の創作とすれば、元々は庶子でしかなかった劉恒に天子としての正当性を付加する「神話」「伝説」をつくっておきたかったのではないか。

実は、その手法は文帝の父である劉邦が多用した方法なのである。

劉邦の庶民時代の逸話には神秘的なものが多いが、その多くは「劉邦は赤帝の子であり、秦を滅ぼし天子となるべく天命を受けた存在なのだ」という「神話」を作り上げる為に、後に創作されたものであろう。

庶民の出身でしかなかった劉邦が天下の主に上り詰めていく過程においては、その種の「神話」が必要とされた為と思われる。薄氏は、その劉邦の自己神格化の手法を真似たのではないか。

事の真偽はどうあれ、本来は皇帝の位など望むべくもなかったはずの劉恒にも、その手の「神話」はある。

尚、後年東漢の世祖光武帝は呂后から皇后位を剥奪し、自身の先祖でもある薄氏に皇后位を追贈した。

薄氏が劉邦に抱かれた時の逸話迄史記と漢書は記載しており、曰
「昨暮夢龍據妾胸。」上曰:「是貴徵也,吾為汝成之。」遂幸,有身。

とあるが、これもさすがに出来過ぎている。当時は呂后が健在であり、こんなことを側室が口にしてもし呂后に伝わっていたら(王が女を抱く時に護衛も兼ねた宦官は控えており、房事は密事にならない)、後日さすがに薄氏と劉恒(文帝)の命はなかったであろう。

呂后は、例の「人豚」の一件で残虐さを以て後世に語り継がれているが、劉邦の寵姫や庶子を無差別に殺しまくったのではない。

彼女が殺意を抱いた者は、嫡子の盈の地位を脅かす者に限られていた。

確かに人豚の件は残虐極まりないが、戚夫人は積極的に劉盈の廃立に動いていたのであり決して無辜の被害者という訳ではない。呂后にしてみれば、正当防衛という以外にない。

後に文帝と対立する淮南王劉長などは、呂后が母を亡くした劉長を憐れみ自分の子として育てた為に、呂后に実子のように懐いていた訳で、必ずしも彼女は劉邦の庶子を悉く憎んだのではなかった。
(※ただし劉長の母の死は呂后にも一部責任があり、劉長は後年その事実を知ることになる)

つまり、呂后に憎まれなかった薄氏が呂后の生前にそのような台詞(彼女の言葉は自分の子が皇帝になるという意味である)を口にしていた可能性はほとんどなく、後年文帝が即位した後になって、母である薄氏が息子に神話的正当性を与えたいが為に、創作した可能性が高いと思われるのである。

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