魏国滅亡

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漢三年八月、漢の大将軍から左丞相に転じた(※兼職の可能性あり)韓信が、漢に背いた魏国を征服した。そして、それは漢の総参謀長とも言うべき張子房が描いた遠大な打倒項羽の為の反転攻勢戦略の第一歩でもあった。

史記淮陰侯列傳曰
「其八月,以信爲左丞相,擊魏。魏王盛兵蒲阪,塞臨晉,信乃益爲疑兵,陳船欲度臨晉,而伏兵從夏陽以木罌缻渡軍,襲安邑。魏王豹驚,引兵迎信,信遂虜豹,定魏爲河東郡。」

後年、韓信はその神技的な用兵の中でも特に「水の使い手」として神話的な名声を博するに至るが、その神髄はこの魏討伐戦においてもいかんなく発揮された。

中国において、単に河と言えば黄河の事であり「江」とは長江を指すが、韓信の天才はその天嶮とも言うべき大河を前にしても聊かも曇ることがなかったのである。

韓信が用いたのは、つまり擬兵の計である。(この場合、戦術的には三十六計中「声東撃西」、或いは「瞞天過海」に相当する)

しかし、韓信が天才である所以はそこに彼オリジナルの独創が存分に盛り込まれている点であり、いかに陽動欺瞞を試みても、肝心の黄河を渡る術がなくてはこの策は奏功しない。
(そもそも渡河の為の船が不足していた)

しかし、韓信は何と「以木罌缻渡軍」...つまり缻(空気を溜めれば浮く)を逆さまにしてその上に筏を組んだらしいのである。

...

「魏豹を殺すことなく生け捕りに出来たことは、まさに大幸と言うべきです。さすがは韓・曹両将軍ですな」
魏国制圧の詳報を受けて、陳平は張子房にはそう言った。

陳平としては魏豹に対して、感情としては悪意と侮蔑しかないが、かと言って殺すべきだとは思っていない。彼個人の感情と政治の大局とは完全に別のものである。

ただでさえ歴史の長い魏国を滅ぼして、かつての秦帝国と同様の郡県制を布くのである。その上王を殺すなど愚行以外の何物でもない。下手をすれば反漢感情が高まり魏国の民衆によるゲリラ戦でも起きかねない。
(※魏豹は秦末の成り上がり王ではなく、戦国以来の旧王家の血筋。更に魏王室の本姓は「姫」であり、これはかつての周王室の末裔であることを意味する。王は王でも、その血筋の尊貴さにおいて当時としては最高)

実際、項羽は斉で王どころか一般市民を虐殺しまくって激烈な反感と憎悪を買い、斉国民上げてのゲリラ戦に悩まされているのである。漢としては、政治家としては馬鹿としかいいようのない項羽と同じ愚行を繰り返す気などさらさらなかった。

その意味では、王だけでなく、不毛な攻城戦などに時間を費やして一般市民を巻き添えにすることなく、野戦により魏国の軍事力だけを粉砕して速攻による征服を成し遂げた韓信と曹参の軍事行動は、戦術のみならず政治的な観点からも完璧である。

漢軍の戦略立案を担う張子房と陳平にとっても、誠に慶賀すべき勝利であった。

...しかし、漢軍にとって最大の戦術的困難はこれからであり、あらゆる戦略構想もその戦術的命題をクリアできねば、全てが終わりであった。即ち、この中原...具体的には滎陽で、項羽率いる楚の主力の攻勢に耐えねばならないのである。

野戦では天下最強を誇る楚軍も、決して攻城戦は得意ではない...が、まず漢軍は兵力の点で劣勢であった。戦術の基礎として攻城側は籠城側の三倍の兵数を必要とするが、この中原戦線において楚漢の兵力差はその三倍以上は隔絶してしまっている。

単純に戦術的な観点で言えば、漢軍としては確かに後背に「天嶮」と言われる函谷関を擁してはいる。

しかし、張子房も陳平もいくら函谷関が戦術的には難攻不落とは言え、戦略的な観点から言えば、そこまで戦線を後退させることは極力避けねばならないと考えていた。

漢軍の防衛線が函谷関迄後退してしまった場合、黄河を隔てて河北を転戦する韓信率いる北伐軍とも、梁の地でゲリラ戦を展開し楚軍の補給線を圧迫している彭越軍とも、九江の地で反項羽の狼煙を上げた英布とも、漢の主力軍としては連携を絶たれてしまうのである。

韓信にしろ彭越にしろ英布にしろ、項羽率いる楚の主力に対して単独で対抗することは出来ない。漢の防衛線が函谷関迄後退してしまった場合、それぞれが各個撃破されてしまう可能性が極めて高い。漢軍としては、そして全体の戦略を統括する張子房と陳平としては、絶対にその「分断されて各軍孤立」の事態は避けねばならなかった。

ところが...である。

「...確かに魏国を短期で制圧出来たことは幸甚ですが...一方、凶報があります」

張子房がいつになく暗い顔をして、陳平に切り出した。

「何が凶事が起きましたか」

「...起きた....と言うべきか、これから起きる可能性が大になりました。まだ確定的な敗戦には至っておりませぬが、九江王の戦況が思わしくないと私の諜者たちから報告が上がってきているのです」

中国人...漢民族の特徴として、戦争における諜報に長けている点が挙げられる。

張子房という男はその点においては最大の先駆者の一人のような存在であった。彼が情報収集の為に投入している人も金も、その質と量において尋常なものではない。

子房の戦略眼というものは圧倒的な情報量がその基礎にあって、彼の計算の全てはその集積された明確な事実の上に立脚している。凡そこの中華において彼ほど、諸国と人の動向を熟知している人間はいないであろう。

その子房の諜報網が、南方戦線において漢の戦略の重要な局面を担う九江王英布の苦戦を伝えてきたのであった。

「九江王は持ちませぬか...」

陳平は瞬間、眼前が昏くなったような気がした。...早すぎる。

楚軍の全軍が英布に向かっている訳ではない。そして英布は武勇に秀で、優れた武将だ。確かに九江一国の戦力も決して多くはないが、これほどまでに楚軍の攻勢が強いとは。

...そして、やはり奴らが狙うのは各個撃破か...陳平は、楚の謀臣...というより項羽の亜父である范増の皺だらけの老いた顔を苦々しく思い出した。

これは、あの項羽の単細胞の頭から出てくる戦略ではあるまい。范増の、あの爺の差し金に違いない...我ら漢にとっては項羽の武勇よりも、あの爺の頭脳の方が余程災厄の種ではないか。

「...楚の司令官は龍且との事です」

子房は更に一つ情報を付け加えた。

(...龍且だと。英布は龍且にも勝てぬのか ? 龍且は灌嬰に敗れたような男だぞ)
楚から逃げてきた陳平は当然龍且という武将を知ってはいるが、ここまで目立った実績はない。しかも、彭城の戦いに先立つ漢の東進中には、漢の騎兵を率いる勇将灌嬰に敗れているのである。

陳平としてはこれまでそれほど重視していた敵将ではなかったが、単独で猛将英布を破る程の男となれば、その認識を改める必要がありそうであった。

...それにしても、英布の南方戦線がこうも早く崩壊する可能性が大となれば、楚の戦力の大半がそのまま滎陽に向かってくると見なければならぬ。

漢軍の基本戦術は最初から籠城ありきではあるが、滎陽の防御力を恃むとしても、元々劣勢だった兵力差がさらに拡大しそうであった。

「...九江王が破れるとして、その上で滎陽に向かってくる楚の兵力を陳平殿はどの程度と読みますか ?」

「少なくとも十五万は下りますまい...最悪を予測するならば二十万超です」

「同感ですな...まともな勝算は立てようがない。元々勝てずとも負けなければよい前提ではありますが、一つ間違えばこの滎陽が我ら全員の墓場になりましょう」

滎陽にこもる漢軍の戦力は精々五万弱でしかない。いくら籠城が前提と言っても彼我の戦力差が四倍を超えてしまえば、純粋に戦術的な勝算などほぼ0である。

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