「項羽の野郎が軍使を送ってくるらしいぜ...どう思う子房」
某日、滎陽城内で漢の最高首脳会議が開かれた。漢王劉邦が臨席する御前会議である。
張子房、陳平の両参謀の他、九江王英布、韓王韓信、大尉(国防大臣)盧綰、御史大夫(副宰相)周苛、酈商、夏侯嬰、周勃、樊噲、灌嬰ら実戦部隊を率いる諸将軍、現在滎陽に籠城している漢の最高首脳部が悉くが列席していた。
関中で内政に専念する丞相蕭何、河北を転戦している大将軍・左丞相韓信、仮左丞相曹参を除けば、漢の首脳陣悉くがこの楚漢戦争の最前線に籠城していると言っても過言ではなく、それを思えば滎陽の陥落は漢の滅亡と同義ですらあった
王太子劉盈は関中にいる為、劉邦の戦死=即漢の滅亡...ではないにしても、劉邦という稀代のカリスマを失い、主力野戦軍が滎陽で壊滅してしまえば、結局は項羽の侵攻を支えきれず滅亡するしかないであろう。
劉邦という男の不思議さは、決して項羽のような超人的な武勇の持ち主でもなければ韓信のような天才的な用兵の才の持ち主でもなかったが、一国の王になっても常に最前線で戦い続け、後方で身の安全を図ったことがない点であった。
(皇帝になってもそれは変わらず、最後には劉邦の死の原因となる)
多彩な人材や多くの将兵が、まがりなりにもこの男についていった理由も一つはそこにあったであろう。そして幾多の欠点を持ちつつも、確かにこの男は功績を上げた者に対する恩賞については物惜しみをしない男ではあった。
...ともあれ、滎陽は楚軍二十万の攻勢に耐え続け、持ちこたえてはいる。
...
「正使は項伯殿(項伯は劉邦の義兄であり、劉邦も項伯に対しては敬意を払う)、副使は項荘だそうだぜ。あの若僧(項荘)には以前殺されかかったがよう(鴻門の会を指す)...このぶっ殺しあいの最中に何の用があんだってんだ」
「しかしまあ、使者の往来中にはいくら何でも范増の爺も攻めてこねえだろう...将兵を休ませてやることが出来るし、俺たちにとっちゃあ悪い話じゃねえが...逆にあいつらには何の得もねえだろう。何が目的だと思うよ、子房」
...劉邦の言葉遣いは相変わらずであるが、そんなものは臣下一同とっくに慣れている。この男の口の悪さと礼儀のなさに辟易していたら、漢の臣下などやっていられないのだ。
「...まずは大王に慶賀を申し上げます」
劉邦の問いに対する子房の返答は、陳平を除く全員の意表を突いた。陳平は勿論子房の言葉の意味を理解しているが、この場においては子房が上席参謀であり、陳平としては大人しく黙っているしかない。
「ああ ? どういう意味だ」
「これはまさに、陳中尉(※陳平の官職は護軍中尉)の離間の策が功を奏しつつある明らかな兆候であるからです。故に、慶賀と申し上げました」
「如何なる理由によって、子房殿はそう思われるのですか ?」
劉邦の竹馬の友であり、三公(丞相、御史大夫、大尉)の一人である盧綰も、張子房に対しては別格の敬意を払っている。盧綰だけでなく、武勇自慢の諸将も子房に対しては「別格」という意識があるらしい。
普段、不仲な周勃や灌嬰と低次元な嫌味や皮肉の応酬を繰り広げ、最早それが何やらお互い一種のコミュニケーションと化している陳平にとっては羨望甚だしい話ではあった。
「...先日来、陳中尉が組織した楚軍内の内通者たちがもたらした情報を、前線を担われる諸将軍各位が存分にご活用下さり、局地的にではありますが我が軍は一定の優位を築くことが出来ています。また同時に、陳中尉は楚軍内に、楚の諸将の中には我が漢に内通する者がいる...という流言を撒いていますから、項羽はこの二つの状況に対して猜疑心を募らせていることは間違いありません」
「だからこそ、使者の往来に事寄せて少しでも我が漢の内情を探ろうとしているのでしょう...つまり、その内通が本当に行われているのか...項羽も迷っているのだと推測できます。使者が二人とも項氏の一族とは、何とわかりやすい男でしょうか。元々一族の者しか信用していない料簡の狭い男ですが、陳中尉の策によってさらに疑心暗鬼に陥っていると見えますな」
「成程な...最初聞いた時には迂遠な策だとは思ったが、地味にではあるが効果が出始めているという事か」
御史大夫の周苛が重々しく頷いた。
周苛も三公の一人であり、丞相蕭何に次いで漢王朝における政治行政部門のNo.2にいる男だ。
蕭何や曹参と同様に沛県で秦の役人を務めていた男で、蕭何ほどの天才はないが行政手腕全般に優れており、旧魏領における郡県制施行等の諸事務を遂行すると共に、劉邦に対する忠誠心も絶対的な信仰に近く、この滎陽で最前線に身を置くことを自ら選んだ男であった。
豊県と沛県の出身者達がその絶対的な忠誠心を以て劉邦の子飼い集団...一種の親衛隊的役割を果たしているのが漢王朝ではあるが、彼らの大半が基本的に農民や商人出身である中で、蕭何、曹参、周苛ら役人出身者たちの専門的技能は極めて貴重だったのである。
そして、彼ら漢の中枢を占めるグループの特徴の一つとして、一定の同郷性はあっても劉氏一族の血縁性が極めて薄い点であった。劉氏の一族はほとんどいないのである。血縁で周囲を固めて、血族以外を信用しなかった項羽とは決定的な違いであった。
側近として秘書官的な役割を果たす弟の劉交(後の楚王。司馬遼太郎は劉邦を末子と描いたが全くの嘘デタラメで、劉邦は末子ではない)、軍には従兄弟の劉賈(後の荊王。英布と戦って戦死)、劉沢(後の琅邪王。呂氏の乱にて活躍)などが従軍していたが、最高幹部ではない。劉氏一族で、漢王朝の政治・軍事に強い発言力を持つ人間は、この時点では皆無なのであった。
韓王韓信や張子房、陳平、酈商、灌嬰などは完全に異郷の人間であるが、この場に最高幹部として列席している。当時としては破格に風通しのいい組織だったと言っていい。
...
「...あー...なるほど...そういう事かよ、子房、陳平」
劉邦の声は苦笑交じりであった。
「お前ら二人は本当に何というか、とんでもねえ悪党どもだ。お前らみてえなのが俺の臣下で本当に良かったぜ。お前らみてえなのが敵にいたら、俺なんざとっくに首が飛んでらあな...この首がいくつあっても足りやしねえ」
陳平は、内心密かに驚いていた。...この男は、何の能もないように見えて決して馬鹿ではない。寧ろ、その動物的とさえ言える嗅覚、勘の鋭さはしばしば陳平の予測を超えるのである。
この場においても劉邦は、陳平と子房がこの度楚の使者を迎えるにあたって構想している策を、説明もない内に大枠の部分では理解した様であった。劉邦という男の思考は極めて粗雑かつ大雑把...ではあるのだが、常に本質は外さない。
「大王よ...臣らとしては褒められたと思って宜しいのですかな ?」
子房の声にも笑いが含まれている。
「当たり前だろうが、褒めてんだよ俺は。...陳平よ、ここでお前自身が格好の"撒き餌"という訳かよ。確かに、"本物の裏切り者"がここで目の前に現れちゃあ、項伯殿も項荘も保証書付きで疑惑の裏書をして帰るしかねえよなあ...何しろ、その"裏切り者"は此処じゃあ、"護軍中尉"なんて大層な重職に就いてんだ。こりゃあ嘘でも何でもねえ、紛れもねえ事実だからなあ」
「お前ら二人とも、ここまで計算してやがったのかよ。何という、えげつねえ悪党どもだ。敵ながら、こんな嫌らしい策に騙される項羽が何やら哀れになってくるぜ」
陳平としては、称賛されているのか貶されているのかよくわからぬ言われようであったが、陳平も、言いたいことは遠慮も何もなく、ズケズケ言う男である。
「大王よ、仮にも忠実な大王の臣下に向かって"裏切り者"呼ばわりはございますまい。臣も最初にこの策を進言した時に申し上げたではありませんか。"今大王慢而少禮"と。大王のその口の悪さはいつか災いを招きますぞ」
...陳平の言葉にいきり立ったのは...当の劉邦ではなく例によって周勃や灌嬰である。
「陳平 !! 大王に対し奉り、何という言い草だ ! 不敬にも程があるぞ、臣下の分を弁えよ !!」
勿論、陳平は元々不仲な将軍たちが何を言おうとも、屁とも思わない。その程度で恐れ入るような殊勝な性格も、繊弱な神経も持ち合わせてはおらぬ。
「臣は十分に弁えておりますよ ?...大王の大度量をね」
「諸卿らも、我らが大王が大度にして寛容なる事、まさに天を覆う大器であらせられることをよくご存じのはずだ。臣の様に項羽にも范増にも嫌われた跳ねっかえり者も、大王の下でこそ己の才を存分に発揮できるのだ。こんな口を項羽に向かってきけるはずもない。あっという間に首が飛ぶか、釜茹でにでもされるかだろうよ」
「だが我らが大王は、臣の軽口など笑ってお許しになる。そして臣下の諫言には虚心に耳を傾けてくださる。その大度、その寛容、まさに超世の名君というしかない。人臣として、これほど仕え甲斐のある主君に巡り合う幸運など、それこそ千年に一度あるかという稀有のものなのだ」
「この度も大王は臣の献策を無条件に信じて下さり、大量の資金も完全に臣に裁量をお任せくださった上で賜った。臣は思いましたな。この大王の為ならば臣は命も惜しくない。大王が大業を成す為に、我が漢が天下を平定し万民に安寧もたらす為に、臣は如何なる非道外道な手段を用いても大王の為に策を献じるのだと」
...放っておくと、こいつの舌は止まらねえな...劉邦は苦笑交じりに陳平を制した。
「...陳平、その辺にしておけ。お前の能弁は見事だが、その才はこの後の使者応接で、項伯殿と項荘の若僧を騙して欺く為に使え。味方に向かって使うな」