無名 ショートストーリー 【枷紐解放 ― 無名 ―】
ただ、遠くで蒸気の抜ける音だけが響いていた。
無名は一人、薄紫の光の中に立っていた。
いつものように首元に巻かれた枷紐。
それは彼女にとって“力”の象徴であり、同時に“呪い”でもあった。
カバネとして生きるための証。
人でもなく、完全な怪物でもない――その境界を示すもの。
何度、この紐を握っただろう。
苦しい時。
怖い時。
誰かを守りたい時。
そして――
自分が、自分でなくなりそうな時。
「……私は、これがないと駄目だと思ってた。」
指先が、枷紐をなぞる。
生駒の声が、記憶の奥から聞こえた。
『無名は、無名のままでいい。
もう、一人で背負わなくていいんだ。』
その言葉は、
ずっと胸の奥に残っていた。
でも――まだ怖かった。
もし、これを解いてしまったら。
“戦うための自分”が消えてしまう気がして。
「……違う。」
無名は静かに目を閉じた。
そして、片手で枷紐を握る。
きゅ、と結ばれた一巻き。
それはまるで、
かつての自分が自分にかけた鎖だった。
「もう、いらない。」
すっと、引く。
するり――
紐が解ける。
その瞬間、
首元を締めつけていた感覚が消えた。
風が、髪を揺らす。
ショートツインテがふわりと踊り、
彼女の目に宿る光が変わった。
戦うための赤ではない。
生きるための光。
「……軽い。」
初めて感じる、
自由の重さ。
無名は小さく笑った。
それは、あどけなくて、
少しだけ泣きそうな笑顔だった。
「これが――私。」
もう“誰かの兵器”じゃない。
もう“誰かのためだけ”じゃない。
私は、私の意思で生きる。
その証のように、
解かれた枷紐が闇へと落ちていった。
そして無名は、一歩、前へ踏み出す。
今度は、
誰かに与えられた道ではなく――
自分で選んだ未来へ。
呪文
入力なし