「猫がソーラン節を踊れることは理解できたが、猫はやはり、猫である」
人間という存在は、万物の上の存在だと考えていて傲慢である。非常に気に入らないため、猫は自分達の権利を回復、もとい、猫だって、人間と同等にやれば、できるのだと!ソーニャン節運動を実施する。
だが、人間にとって、それらは道化にしか見えないようで、時の総理の回答は…
「猫たちの学ぶ権利は認めるが、やはり猫であることには変わりないため、人間と同等には接することはできない」
かくして、猫たちは全面的な権利は認められなかったものの、ソーニャン節運動によって、猫は学校へ通えるようになった。
「にゃ~、にゃ~(あなた、もう学校に遅刻する時間よ)」
「にゃう、にゃ~にゃ~(どうして、あたしだけ学校にいかなきゃいけないの)」
「にゃ~、にゃにゃにゃ!(ネコノ歴史の勉強で習ったことでしょ)」
「にゃ~にゃうにゃう(しってるよ、わかったよ、いくよ)」
外を出て、ソーニャン節をする。
これはソーニャン節運動を忘れ得ぬために
習慣となったのだが、やはり、経験せねば、若い猫にとっては、めんどくさく感じるようだ。
(猫メモ)
Grok猫にニーハイを
履かせるの難しいです。
imageFXはどうなのか
とか、このテーマは非常に
試してみるかいがありそうで
どんどん描かせたいです。