――ヤーラボ大陸、
無限迷宮の麓に広がる街、迷宮都市ステラヴェイル。

夕暮れ時、
街は一日の終わりと新たな喧騒の始まりが交差する。

蒸気塔から白い煙がゆるやかに立ち上り、
橙に染まった空をぼかしていく。
迷宮帰りの冒険者、工房を閉めた職人、
学舎を出た学生たちがぞろぞろと石畳を行き交う。

その一角にある大衆酒場――
「ノクティルミア」。

木製の看板が軋み、ランタンに灯が入る。
扉の内側からは、
仕込みの匂いと炭火の音が漂っていた。

「よーし、今日もいくよーっ!」

明るい声が店内に響く。
ケモノビトのラミア娘、セラフィーナ。
艶やかな鱗の尾をゆったりと床に這わせながら、
彼女は樽を軽々と持ち上げる。
胸元のフリルが揺れ、腰のポーチがからりと鳴った。

「セラ、急ぎ過ぎるなよ」

奥から亭主の声。

「はーいっ。でも今日は迷宮帰り多そうだもん!」

日が沈みきる頃、扉が開く。
次々と客が入り、木製の床がきしみ、
笑い声が広がっていく。
グラスが鳴り、泡が弾け、肉を焼く音が混ざり合う。

セラは軽やかに、尾を器用に操りながら席を回る。
ジョッキを三つ同時に運び、注文を覚え、
時には冗談を返す。
彼女の明るさは、この酒場そのものだった。

――カラン、と扉が鳴る。

「よう、セラ。今日も騒がせに来たぞ」

ゴブリンの整備士、ニクス。
赤鼻を揺らし、にやりと笑う。
その後ろから、重厚なブーツ音が続いた。

「……騒がせに、ではない」

ツチビトの飛空艇操縦士、グラム。
大きな帽子と肩章、分厚い手袋。
腕を組み、難しい顔で店内を見回す。

「いらっしゃい、ニクスさん、グラムさん!」

セラが尾をくるりと回して迎える。

二人はいつもの席へ。
最初は静かに始まった酒も、
やがて二時間もすれば様子が変わる。

「だからあの高度は危険だって言ってんだ!」

「風向き読めねぇお前が言うな!」

机を叩き、声が大きくなる。周囲の客が苦笑し、セラは困ったように笑う。

そのとき、静かに立ち上がる影。
深緑のローブをまとったモリビトの老婆、エルデラ。

「まったく……年甲斐もなく騒がしいことじゃの」

杖をつきながら近づくと、二人の間に割って入る。

「飛空艇は風と魔術式の調和じゃ。
 理屈も分からんで吠えるな、若造」

「若造だぁ?」ニクスが笑う。

「ほう、言うたな」グラムが眉を上げる。

あっという間に三人の口論へ発展する。
理論、経験、勘、魔術式、
整備記録――話題は縦横無尽に飛び交う。

「セラ、酒だ!」

「はいはい、追加ねー!」

彼女は苦笑いしながらジョッキを置く。
騒がしくも、どこか温かい光景。
それがノクティルミアの日常だった。

やがて夜も更け、客は一人、また一人と帰っていく。
蒸気の圧力が落ちる音のように、
店内の熱気もゆるやかに静まった。

「……ふぅ。今日も無事終了っ」

最後の椅子を整え、灯りを落とす。
亭主に手を振り、セラは店を出た。

深夜十二時。
小高い坂道を、尾を引きずりながらゆっくり登る。

振り返ると、ステラヴェイルの夜景が広がっていた。

蒸気の霧が街を覆い、灯りはぼやけて柔らかく滲む。
塔の輪郭は霞み、飛空艇の影がゆらりと通り過ぎる。

地上に瞬く無数の灯火。
その上には、本物の夜空。

天と地、二つの夜。

「……きれい」

小さく呟く。
迷宮に挑む者も、
街で生きる者も、皆この光の中にいる。

彼女は胸に手を当て、そっと微笑んだ。

明日もまた、酒場に灯りがともる。
迷宮都市は、今日も静かに終わりを告げるのだった。

呪文

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