張耳と韓信 其一

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漢三年、西魏王魏豹が漢に背いた。

彭城の大敗戦の後に漢を盟主とした反項羽連合軍は無残に瓦解したのだが、それでも西魏と韓、そして領土は失ったものの恒山王張耳の三王だけは漢の陣営に残っていた。

韓は漢軍の総参謀長とも言うべき張子房の祖国であり、更に現韓王の韓信(大将軍韓信とは別人)は、元々漢軍の一将であったこともあり、劉邦の後見と支援によって国を再興した経緯からも、独立国というより実態は漢の忠実な属国である。

加えて先代の韓王成は項羽によって殺されており、韓としては項羽と楚は仇敵以外の何者でもない。

恒山王張耳は、若い頃に既に劉邦と親交があり、かつ張耳がかつて刎頸の交わりを結んでいた陳余と仲たがいを起こし、戦に敗れて国を追われた時にも劉邦の庇護を受け、かつ陳余が張耳を殺すように迫ってきた時にも、劉邦は偽首の計を用いて張耳を庇い抜いた経緯がある。

更には、劉邦の一人娘である後の魯元公主と張耳の息子張敖の婚約も成立しているのである。あらゆる意味において絶対的な劉邦派であり、これまた一国の王とは言え事実上劉邦に臣従していると言っていい。

西魏王魏豹は、別に張耳や韓信のように漢王劉邦と縁が深い訳ではないが、元々項羽に対して含むところがあったのである。

魏豹が「魏王」ではなく「西魏王」とされたのは、事実上項羽に旧魏の地の東半分を奪われたからであり、いくら王に立ててくれたとは言え、魏豹としては項羽に恩義を感じる筋合いがなかった。

寧ろ、領土の半分を奪われたという怨恨の方が強い。

魏豹が反項羽連合軍に投じたのはそういう経緯があったからである。

しかし、彭城の大敗戦に至るまでの過程で劉邦と行動を共にしていた魏豹は、劉邦の柄の悪さ、傲慢さに腹の据えかねる思いをしていたらしい。

史記は漢に背いた魏豹の言葉を記している
「今漢王慢而侮人,罵詈諸侯群臣如罵奴耳,非有上下禮節也,吾不忍復見也」

....

一度は魏豹に仕えたこともある陳平が、「これだから生来の王侯貴族という奴らは度し難いのだ」と言いようのない不快を覚えた点でもあるが、政治的な利害損得勘定よりも己一個の感情を優先した魏豹の選択は、陳平のように常に冷徹な合理性を優先する男にとっては、理解を超える話ではあった。

...で、今現在陳平の目前にいる男も「生来の王侯貴族」ではあるのだが、この男は陳平が想像する「その種の人間たち」とはおよそ程遠い男であるらしい。

韓の宰相の家に生まれた張良、字を子房という男である。

陳平は己を天下一の陰謀家、策略家と自負してはいるが、この張子房という男はその陳平の目から見ても、凡そ「異様」と言うしかない頭脳の持ち主であった。

現在の漢軍の戦略はその全てが、この張子房という男一個の頭脳から出ていると言っても過言ではない。

彭城で五十六万という大軍をわずか三万を率いた項羽に粉砕され、その将兵の大半を失った漢軍ではあるが、今子房が描いた大戦略の下に、大将軍韓信という天才的な戦術家に率いられて反転攻勢に出ようとしている。

...

「韓将軍の下で副将を務める将の人選ですが、陳平殿は誰が良いと思われますか」

一日、子房が陳平に問うた。

大将軍韓信による北伐は既定の戦略である。

子房が描いた漢軍の大反攻戦略は、要するに「関東(函谷関の東)を韓信(この場合は大将軍韓信)、彭越、英布にくれてやれ」というものである。

その中でも戦略の根幹を成すのは大将軍韓信による北伐であり、彼が魏、趙、代、燕、斉という五か国を漢の支配下に置くという、ある意味無茶苦茶と言うしかない戦術的難易度の上に立脚しているのだが、漢王劉邦も、子房も、そして陳平も韓信ならばやれるだろうと考えていた。

というよりも「やれる」前提でしか、漢の逆転はあり得ないのだ。

しかし陳平の見る所、子房の大戦略は見事...というか「これ以外にない」唯一の戦略と見ている一方、韓信の軍事的天才とは別の処で一つの危惧があった。

韓信の忠誠心である。

彭越と英布には、漢王朝に対しても劉邦個人に対しても忠誠心などはあるまい。しかし、子房にしても陳平にしても、彼らに漢への忠誠心など期待していない。

彭越と英布に対しては、最初から利で釣る前提の戦略である。利で釣る以外に対処のしようがない。

危ういと言えば危うい前提であるが、最初から二人に忠誠心など期待していない以上、子房と陳平にしては読みやすい相手とも言えた。
(余談ながら、この後英布は項羽麾下の龍且に敗れて妻子一族を皆殺しにされ、身一つで漢軍の陣営に逃れてきた為、遊撃軍としての働きを果たせずに子房の戦略に重大な困難を追加することになる)

対処方法がはっきりしているのだ。

しかし大将軍韓信の単独行動は、絶対的に漢と劉邦に対する忠誠心が大前提になくてはならぬ。

魏の討伐戦はまだ劉邦の指揮の下に行われるが、その後の趙、代、燕、斉の平定戦においては韓信は劉邦の指揮を離れて単独で動くのだ。

韓信の天才をもってすれば、趙、代、燕、斉四国の平定も不可能ではあるまい。しかし、それは同時に別の危険性も孕んでいる。

もし韓信に独立の野心があり、河北で自立を図った時、劉邦にはそれを制止することが出来ない。

子房の戦略はその時点で完全に破綻し、項羽率いる楚の主力の攻勢を単独で防ぐことは出来ず、漢は滅亡するだろう。

陳平はまず、それらを踏まえた上で率直に自らの意見を述べた。

「愚見を申し上げるならば、恒山王父子(張耳と張敖)をまずお付けになるべきかと存じます。魏を平定した後に韓将軍は趙と代を攻めることになりましょうから、それらの地に地縁、血縁が多い恒山王父子は必ずやお力になりましょう」

「...陳平殿もまた、思い切ったことを申されますな。一兵も寸土も持たぬとは言え、恒山王は一国の王。韓将軍は大将軍とは言え漢王の臣下です。一国の王にその副将が務まりますかな」

子房はやや疑義を述べたが、陳平は子房も内心同意であろうことは見抜いている。

(自分もどうせ最初からそのつもりだろうが。それでも俺に敢えて聞くのは、子房殿なりに俺を重んじているからか。俺たち参謀同士の意志疎通自体がこの場合は重要なのだ)

「確かに、身分格式の点で恒山王が漢の大将軍の副将というのは、「これまでの常識」から言えば奇妙ではありましょうが、恒山王は元が遊説家上がりだけあって人当たりがよく温厚な方ですし、出自も魏豹のような旧六国の王族でもありません」

「魏豹の如く、無益な気位の高さで大事の判断を誤るようなお方ではありますまい。そして、物事の道理も人の世の現実もよくお見えになるお方です。「新しい時代」がどのようなものであるか、おわかりにならぬ筈はありませぬ」

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