カオス理論的炎属性付与薬

夜のラボ。
理久はホワイトボードの前に立っていた。

そこには数式と図。

初期条件：感情値 ε

出力関数：F(t)

分岐点：θ

アトラクタ：炎安定域

「……魔法じゃない。
これは非線形動力学系だ。」

机の上には小さなアンプル。
ラベルにはこう書かれている。

《属性付与薬・炎式（Chaotic Model）》

理久は独り言のように続ける。

「投与後の生体は、
閉じた系じゃない。
感情、呼吸、環境音……
すべてが初期条件に混ざる。」

アンプルを飲み干す。

数秒後、掌がじんわり熱を帯びる。

「来たな。」

掌を前に出すと、
ボッ と小さな炎。

だが、同じ操作をしても、
炎の形は毎回わずかに違う。

揺れ方、色、温度。

「決定論的だが、再現性は低い……
典型的なカオスだ。」

理久はわずかに口角を上げた。

■ 分岐点

呼吸を深くする。
感情を落ち着ける。

炎は安定し、
一定の高さで揺れる。

「ここがアトラクタ。
安全領域。」

だが、ふと考え事をする。

――研究が成功したら？
――論文が通ったら？

その瞬間。

ボワッ

炎が一段階大きくなる。

「……なるほど。
感情変動Δεが、
臨界値θを超えた。」

即座に消火。

「暴走じゃない。
分岐だ。」

ノートに書き込む。

・怒り＝火力上昇
・喜び＝不安定振動
・不安＝出力ノイズ増大

■ 結論

理久は白衣の袖を下ろし、
アンプルを棚に戻した。

「これは魔法じゃない。
生体を媒介にしたカオス系だ。」

「制御できないのではなく、
完全制御を目指すのが間違い。」

最後にホワイトボードへ一文を書き足す。

《安定とは、揺らぎを許容すること》

ラボの灯りの下、
掌の余熱だけが、静かに残っていた。