紫髪ボブで接客中の少女

その日、「わくわくドナルド」の空気が、確かに変わった。
開店と同時に現れた紫の気配。
光沢ある制服に、鋭く整えられた髪。
そして、漆黒よりも深く、鋼よりも冷たい眼差し。
「……このような職務も、為政者たる者の心得として必要だ」
そう呟きながら、彼女はカウンターの内側へと静かに立った。
周囲のスタッフは、笑顔を張りつけたまま凍りつき、客たちは何が起きたかもわからぬまま、足を止めた。
一人、また一人と進む列。
だが、彼女のレジの前には、誰一人並ばない。
右の列に並ぶ者、左へ逸れる者。
子供は母の背に隠れ、若者はスマホをいじるふりをしながら別のレジへと歩を進める。
当然だった。彼女の視線は、まるでレーザー。
整然と積まれたバーガーにすら、緊張が走っている。
「……なぜ誰も来ない？」
唇をひとつ、ぴくりと吊り上げたその瞬間、空気が震えた。
まるでコロニーごと重力が濃くなったような重圧が、フロアに撒き散らされる。
フライドポテトの油が、いつもより深く唸った。
「民は、私の顔を恐れているのか……くだらん」
彼女は静かにトレイを取り、無言で整える。
レタスの端が1ミリはみ出しただけで、バーガーはやり直し。
チーズの角度が15度傾けば、即座に修正される。
完璧であるがゆえ、誰も口を挟めない。
やがて、勇気ある一人の子どもが、震える手で声をかけた。
「えっと……チーズバーガーと……ポテト、ください」
彼女は、その小さな声をきっちり拾い、淡々とレジを打ち始めた。
「チーズバーガー、ひとつ。ポテト、ひとつ。……支払いは？」
子どもはお札を差し出し、受け取る手が少しだけ震えていた。
「……賢明だ。よくぞ来たな」
――その一言に、空気がすっと和らいだ。
子どもは、少しだけ笑った。
その笑顔を見て、他の客も、ようやく列の足を一歩、彼女へと向け始めた。
それは、わくわくドナルド史における、最も静かで、最も勇気を要した接客のはじまりだった。