鬼謀

使用したAI Dalle
...物慣れた筈の職業的間諜(職業スパイ)達が思わず絶句したほどに、陳平が下した指令は非道かつ外道の極みであった。

「もう一度言う」
かなりの美男...といっていい陳平の容貌がこの時ばかりは陰惨な妖気すら帯びていた。

「此度我らに内通している者達の中で、特に元秦の者達...彼らを密かに自害に見せかけて殺せ。ただ殺すだけでは意味がないのだ。絶対に、確実に、「内通の露見を恐れて追及される前に自害した」と見えるように、偽装した上で殺せ。それも、その内通は殺した者一人の行為ではなく、組織的に行われており、かつその背後に楚軍の大物がいるように見せかけよ」

「これに成功すれば、報酬の金は今までの分に加えてさらに十倍上乗せてやる。その代わり、この殺しは絶対にしくじってはならん。機会を伺い、もしわずかにでも危険を感じたら実行を中止せよ。周到に準備し、確実な好機と見たら、躊躇わずに殺せ」

「例え我らに内通していない楚兵でも、その中に元秦の者がいたら、その者も殺しと偽装工作の標的にして良い。項羽は元秦人など信じておらぬし、そもそも旧秦を今治めているのは我が漢なのだ。例え事実として内通していなくとも、内通したように見せかけて、自害を偽装して殺せば、奴は信じる」

...この度、陳平の下で行動しているのは何れもこの乱世を生き抜いてきた熟練の職業的間諜であり、或いは暗殺業の請負人達である。

裏社会でこの稼業についている者達である以上、世間並の道義や倫理の束縛など基本的に己に課していない。その海千山千の男たちにして、この度の陳平の如き非道外道な指示は受けたことはなかった。

買収して裏切らせておいて、その上で殺せという事である。彼らが一様に絶句したのも無理からぬ事であった。

...

漢三年、楚漢戦争中盤における最大の激戦となった滎陽の戦いは、特に漢にとっては破滅と絶望の淵寸前までに追いつめられる戦いとなった。

滎陽に籠る漢軍約五万に対して、項羽が率いてきた楚の主力は約二十万である。

稀代の謀臣、張子房と陳平が知力の限りを尽くして防御力を強化した滎陽城ではあったが、如何せん彼我の戦力差が開きすぎている。

全体の戦略的状況としては、韓信率いる北伐軍が河北で魏、代、趙を征服したことで若干の余力が生まれてはいるが、それもこれも、この滎陽で劉邦自らが率いる漢の主力が壊滅しては意味がない。

純粋に戦術的に、この滎陽で劉邦が死んでしまえば、いくら河北で韓信が軍事的天才を発揮しようとも意味がなくなるのである。
(劉邦という男の面白さは、こういう時に平然と己自身を項羽をおびき寄せる為の餌として危険に身を置ける点であり、この男はその天下取りの過程全てにおいて常に前線に身を置き続け、後方の安全な場所で己の身の安全を図ったことがなかった)

更に言えば、韓信もまだ河北の完全征服を完了してはいない。燕は外交によって帰順させることが出来たが、東における最強国といっていい斉は未だ漢の支配下にない。

劉邦、そして張子房と陳平としては、まだしばらくはこの中原に楚の主力野戦軍と項羽を引き付けて、時間を稼がねばならなかった。

...

しかし、この戦いは熾烈かつ陰鬱極まる苦戦の連続であった。

この滎陽の防御力強化の為に、張子房と陳平が凝らした戦術的工夫は、補給経路の鉄壁化である。

史記項羽本紀曰
「漢軍滎陽,築甬道屬之河,以取敖倉粟」

古今東西を問わず、籠城戦における戦術的急所は補給...特に食料の確保にある。糧道を絶たれて守備兵と市民諸共に凄惨な飢餓状態に陥り、降伏に追い込まれたり、大量餓死の惨状に追い込まれた事例は無数にある。

張子房にしても陳平にしても、その本質は戦略家であり戦術家ではなかったが、この滎陽においてはこの稀代の両戦略家は、純粋に戦術的な思考にその頭脳と神経を集中させるしかなかった。

...そして、この両名が導き出した結論が、いっそのこと外部の食糧庫(敖倉といい、かつて秦が大量の糧秣を貯蔵していた。後にこの敖倉が楚漢戦争の大勢を決する最大の要素となる)と滎陽城を連結させて、その連結部分自体を要塞化してしまおう..という実にユニークな発想であった。

この独創そのものは、秦末の名将章邯が鉅鹿の包囲戦において構築した前例があり、子房と陳平はそれを模倣したらしい。

攻城側の楚軍からすると、攻撃すべき対象が滎陽の城壁そのものと、それ自体が防壁化している甬道に分散されることになる。

勿論、漢軍側も元々少ない兵力で防御すべきポイントが増えるという意味にもなり、それ自体リスクとも言える。兵力分散の弊害は、大軍の楚よりも漢軍の方が大きい。

しかし、籠城戦においては孤立と食料の途絶こそが最大のリスクであり、それへの心配自体が将兵の士気を破壊しかねず、甬道がある限り飢えるリスクが最小で済む...という心理的安全弁の上に将兵の士気を維持できる点が最大のメリットであった。

...しかし、ここで漢軍の前に立ちはだかった最大の敵は、楚軍の勇猛でも項羽の武勇でもなく、范増という一人の老人の頭脳であった。

范増は元々鉅鹿でこの甬道戦術に対抗した経験があり、さすがにその慧眼は滎陽城の戦術的な致命的急所を見抜いていた。范増の指揮の下、楚軍は滎陽の城壁を放置して何とその全戦力を甬道破壊の為に叩きつけてきたのである。

有体に言って、漢軍が最も嫌がる方法であった。

城壁に攻めかかってこないのであれば、確かにその間に後方の洛陽などから補給は出来る。しかし、食料や武器などの物資は補給できても兵力は元々枯渇してしまっている以上、補充できない。韓信が征服した河北から細々と補充兵は送ってくるが、その数は高が知れている。

そして楚軍としては、甬道を破壊した後に再度滎陽を包囲することは容易に可能である。

ただし楚軍としても漢軍が全力で守る甬道(それ自体も要塞化されている)を破壊するなどは短期間に出来る事ではなく、はっきり言って時間がかかる戦術であり、項羽の性格から出てくる類の戦術ではない。

はっきりと范増という一人の老人の思考が現れている...と、子房と陳平は思った。

稀代の頭脳を持つ二人も、漢軍全体も、古希を過ぎたあの老人一人に喉首を締め上げられているような状態であり、子房と陳平は最早、あの老人一人を殺す算段を模索せねばならぬ苦境に追い込まれていたのであった。

...

...古来、諜報活動の先進国である中国においては、勿論暗殺という特殊技能も古来より発達している。

しかし、同時にそれはそれらに対する防御手段も発達しているという意味であり、項羽本人は勿論、范増を暗殺するなど技術的にほぼ不可能であった。武器による暗殺も、毒物による暗殺も、現実的にはほぼ不可能とみるしかない。

暗殺により物理的に殺害するのが不可能というのならば、せめて政治的に抹殺できぬか...子房と陳平は、その一点に全思考を集中して策を練った。

...そして、ここで陳平が元楚軍の出身であり、その内情について実体験を持っていたことが、そしてその陳平が歴史上稀有と言っていいレベルの「陰謀の才」の持ち主であったことが、その後の歴史を決した。

...

史記陳丞相世家は、陳平が立案し、劉邦に上申した策の全文を記録している。

漢王謂陳平曰:「天下紛紛,何時定乎?」陳平曰:「項王爲人,恭敬愛人,士之廉節好禮者多歸之。至於行功爵邑,重之,士亦以此不附。今大王慢而少禮,士廉節者不來;然大王能饒人以爵邑,士之頑鈍嗜利無恥者亦多歸漢。誠各去其兩短,襲其兩長,天下指麾則定矣。然大王恣侮人,不能得廉節之士。顧楚有可亂者,彼項王骨鯁之臣亞父、鍾離眛、龍且、周殷之屬,不過數人耳。大王誠能出捐數萬斤金,行反間,間其君臣,以疑其心,項王爲人意忌信讒,必內相誅。漢因舉兵而攻之,破楚必矣。」漢王以爲然,乃出黃金四萬斤,與陳平,恣所爲,不問其出入。

...陳平は主君に対して相当思い切った事を言ったものだが、それを普通に聞いている劉邦の度量も尋常ではない。項羽にこんなことを言えば、まず首と胴体が泣き別れになるか、焼き殺されるか、煮殺されるかであろう。

しかも、陳平の策を容れた後の処置もまたぶっ飛んでいる。秘密工作費として陳平に大量の黄金を与えただけでなく、更にはその使途は一切問わなかった...というのである。

陳平はこの時、心の底から思った。

項羽を見限り、劉邦を選んだ己の目はやはり間違っていなかった。

俺は俺の全能力を挙げて、この男を天下の主にしてみせると。

呪文

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