承安4年(1180年)に挙兵した源頼朝は、戦乱の時代を駆け抜け、鎌倉にて盤石な政権を築きつつあった。しかし、頼朝の名声を超えるほどの輝きを放つ存在が現れる。異母弟、源義経――その活躍は平家追討の戦いで頂点に達し、壇ノ浦での勝利により平家一門を滅ぼすという偉業を成し遂げた。だが、その報せが鎌倉へ届いたとき、頼朝は微妙な表情を浮かべていた。
義経の帰還を知らせる使者に対し、頼朝は静かに顔を上げる。家臣たちが固唾を飲む中、頼朝は突然、両手を胸の前で交差させ、大きな「バッテン」を描く。
「会いませーん。」
その軽やかな一言に、場の空気は一瞬凍りつく。しかし頼朝の表情には、微妙な焦りと苛立ちが見え隠れしていた。
「義経、あいつめ……平家を滅ぼしたのは見事だが、調子に乗りすぎているのではないか?俺の権威を忘れているんじゃないか?」
頼朝の脳裏に浮かぶのは、義経が独断専行で進めた数々の作戦、そしてその豪胆な行動がもたらす圧倒的な結果だった。戦の天才と称えられる義経の姿は、もはや「兄」をも凌駕する勢いを持ち、頼朝にとってそれは脅威でもあった。
義経が東国に帰還し、鎌倉へと進む道中、その名声はさらに広がっていく。人々は彼を英雄と称え、その功績を讃える歌が流行していた。だが、頼朝にとってそれは、自らの権威が揺らぐ兆候にも思えた。「俺が頼朝だぞ!鎌倉殿だぞ!」と叫びたくなる衝動を抑えながら、頼朝は心を決める。
「義経にはお仕置きが必要だ。鎌倉の秩序を守るためには、たとえ弟であっても例外は許されない。」
頼朝の決意は固く、その冷静さの裏に隠された嫉妬と焦燥が、その手の「バッテン」に込められていたのだろう。
このときの頼朝の言葉と仕草は、後世に「頼朝バッテン事件」として語り継がれる――いや、そんなことはないだろうが、鎌倉殿の厳しい現実と義経との葛藤が、この一瞬に凝縮されていた。
能力名:鎌倉幕府の礎
自軍全体の統率力を向上させ、敵の士気を削ぐ。
能力名:戦乱を制する戦略
敵の侵略を事前に察知し、防衛陣地を強化する。